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<本文から> 慶は考えた。頭を冷静にしてみるといろいろなことが思い浮かんだ。遠山の存在が次第に遠くなった。慶が考えたのはこんなことだ。
「あたしが生まれ育った長崎は、古くからの国際留易港だ。その港町で、あたしは国際貿易商人として生きてきた。これはあたしと肥後藩の遠山様の問題ではない。
あたしと外国商人との問題なのだ。そうだとすれば、やはり日本の信用に関わりのあることだ。あたしがもしここでがんばって、タバコの代金を支払わなければ、日本商人はいい加減だということになる。日本商人の名が汚れてしまう。日本人相手ならまだしも、外国商人を相手にそんな汚名を立てられては、申し訳ない。ここは一番あたしの責任で解決しよう」
そこで彼女は長崎県令に申し出た。
「損害のお金は、私が全額お支払い致します」
県令はびっくりした。
「本当か?」
「本当です」
「よくそこまで思い切ったな」
「私も日本の国際貿易商人です。日本の名を汚したくありません。仲介にたった私が悪かったのです。遠山様を信用しすぎました」
「うん・・・」
県令は黙った。県令も武士出身だから、同じ武士の遠山が嘘をついたということに腹を立てていたのだ。
大浦慶は、このとき六〇〇〇両あまりの賠償金を払った。これが国僚商人の間に美談として
有名になった。
「大浦慶という女性商人はすばらしい」
と評判をたてられた。このことが、大浦慶の店をいよいよ繁盛させた。彼女の決断は、マイナスをプラスに変えて、店だけでなく日本商人の信用も大いにあげたのであった。
大浦慶は、自分の店の経営だけでなく、例えば、坂本龍馬の海援隊を積極的に応援したことでも有名だ。彼女は、瀧馬の仕事を、政治的にとらえずに、むしろ、日本の国際貿易のために役立つ仕事だと受け止めていたのである。後の大隈重信や、松方正義もずいぶん世話になった。明治十七年の四月、慶は五十七歳で死んだ。生涯独身を通した。 |
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