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<本文から> とくに国政の最高斉任者として、事柄に対する曖昧性は許されない。すべて、「こうする」、あるいは「これで行く」と、はっきり意思決定が示されなければならない。
時宗は今日の評定の内容を要領よく省略して告げた。そして最後に、
「師僧にお伺いしたいのは、わたくしも九州へ赴くべきかどうか、ということでございます」
といって祖元の顔を凝視した。
祖元は澄んだ目で時宗を見返しながら、首をゆっくり左右に振った。そして呟いた。
「小善は大悪に似て、大善は非情に似たり」
「・・・」
時宗は、祖元が口にしたことばを頭の中で受け止め、声に出さない繰り返しをした。
(小善は大寒に似て、大善は非情に似たり)
祖元のことばを反芻しながら、時宗は、
(目先の対応で、小さないいことをしたと思っても、そのことが積み重なって結局は大きな悪に結びつくことがある。思い切って目前では非情と思われるような対応をしても、結果的にはそれが大善につながっていくのであれば、その道をとるべきだ。師はこういいたいのだろう)
と理解した。
であるなら、祖元がいうのは暗に、
「九州には行くべきではない」
ということである。
「それよりも、北条一族が結束して鎌倉幕府のカをもっと強化拡充することのほうが先決だ」
ということだろう。
祖元は建長寺の住持になってからそれほど年月を経ているわけではないが、さすがに本国が滅ぼされるというような危機を体験しているだけに、単なる宗教者としての僧ではなかった。国を襲う大敵の恐ろしさも知っていたし、そういうとき民の責任者はどう対応しなければいけないかも知っていた。
祖元はおそらく南宋の政治指導者に絶望したにちがいない。だから、その二の舞を時宗に演じさせたくないのだ。それには、時宗が毅然とした態度を取りつづけることを求める。 |
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