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<本文から>
「あほうきゅう?」
平野はききかえした。松野はうなずいた。平野はさらにきく。
「あほうというのは、あのばかのことか?」
「そうです」
松野の率直な答えに、一座はまたドッとわらった。平野は呆れた。
「そぎゃんことをいえば、主水さまもお怒りなのは当り前だ」
「そうでしょうか」
松野はしらばくれてそう応じた。しばらく一座はわらい合った。しかし松野の話で、座にいた者はみんな松野に好意を持った。
「この人は、立派な人だ」
「正義感が強くて、間違ったことには黙っていられないのだ」
「監察というお役は、こういう人でなければだめだ」
「そういう松野さまを嫌う熊本城内のご重役方は、間違っている」
そんなささやきがあちこちで洩れた。重賢はそぅいう様を、満足げにみわたしていた。
重賢の意図は的を射た。
松野七蔵が感じ取ったとおり、重賢は、
(厄介者が、厄介者として城から放逐されるのには、放逐する側の理屈だけではない。される側にも、かならず原因がある)
と思っていた。それは、部屋住み生活を二十八歳の今日まで送ってきて、かれが目にしてきた武士たちの生きざまによるものである。大名家も、ひとつの組織だ。組織の秩序というものがある。そしてそれはつねに、
「守らせる側と守る側」
に分かれる。厄介者や異風者とは、
「城の秩序の逸脱者、あるいは背いた者」
をいう。重賢にすれば、
「そういう場合にも、守らせる側の理屈と、守る側の理屈が合わないのは、それぞれ相手の立場から自分を見直さないからだ。守らせる側は、秩序を守ることだけに頭が向いていて、相手がどういう立場に立って、どういう事情でそんな厄介なことを引き起こしたかをきちんと理解しようとしない。また、引き起こしたほうも、理はすべて自分のほうにあって、相手が間違っていると決めこむ。果たしてそうだろうか。能本城から追われた者には、追われた者のほうにも一端の理由があったのではないか」
というのが重賢の考えである。まだ藩主の座についてもいないのに、重賢はすでにこういうように藩の武士たちの、現在でいえば管理方法についても深く思いを致していたのである。 |
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