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<本文から> 話の聞き方に四とおりの反応を示す若者たちの使い方について、信玄は次のようにいう。
・人の話をうわの空で開いている者はそのまま放っておけば、いい部下も持てないし、また意見をする者も出ない。一所懸命忠義を尽くしてもそれに応えてくれないし、また意見をしても身にしみて聞かないからだ。したがってこういう人間に対しては、面を冒して直言するような者を脇につけることが必要だ。そうすれば、本人も自分の欠点に気づき、みずから改め、ひとかどの武士に育つはずだ
・二番目のうつむいて人の話を身にしみて開く者は、そのまま放っておいても立派な武士に育つ。こういう人間の存在を、一番目の人の話を身にしみて聞かない者に教えてやることも大事だろう。
・三番日の、あなたの話はよくわかります、おっしゃるとおりですという反応を示す者は、将来外交の仕事に向いている。調略の責務を与えれば、必ず成功するに違いない。ただ、小利口なので、仕事に成功するとすぐいい気になる欠点がある。そうなると、権威高くなって、人に憎まれる可能性があるのでこのへんは注意しなければならない。
・四番日の席を立つ者は、臆病か、あるいは心にやましいところがあるものだから、育てる者はその人間が素直に、その欠点をみずから告白して、気が楽になるようにしてやらなければならない。そうすることによって、その人間も自分の気にすることを払拭し、改めて奮い立つに違いない。こういう者に対しては、責めるよりもむしろ温かく包んでやることが必要だ
こういうように、
「どんな人間にも必ず見所がある」
とする信玄は、新しい人間を召し砲えるときにも、
「百点満点の完全な人間を採用するな。人間は少し欠点があったほうがいい」
と命じた。また、
「武士で、百人中九十九人にほめられるような人間はろくなやつではない。それは軽薄な者か、小利口な者か、あるいは腹黒い者である」
といい切っている。
信玄は子供のころ父に憎まれた。父は弟のほうをかわいがった。
「ゆくゆくは、信玄よりも弟のほうを自分の跡継ぎにしよう」
と考えていた。信玄は子供のころは道化を装ったという。子供ごころにも、それが自分の身を守る唯一の処世術だと考えたのだ。それだけに、振り返ってみれば、
「なぜ、おれはあのときあんな卑しいことをしたのだろう?」
あるいは、
「あのとき、自分はこころにもないことをして、父の機嫌を取った。ほんとうに酔いこころの持ち主だ」
などと思い出すたびに、身悶えをする。そういう反省と自己嫌悪の経験があるから、信玄は人間を見る目が鋭かった。彼は自分がいやな体験をしただけに、
「若い者にそういう経験をさせたくないし、またそういうことを教え込む大人の知恵を退けたい」
と考えていた。そうするためには、
「どんなに欠点がある人間にも、必ず一つくらいいいところがあるということを本人並びにまわりに知らせることが大切だ。それが指導者の役割だ」
と考えていた。この彼の、
・欠点があるからといって、けっしてその人間を見限らない。
・小さな過ちをとらえて、おまえはもうだめだというような決めつけはしない
という人の育て方は実に見事である。 |
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