童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          ほんとうの智恵に学ぶ  人生の手本にしたい名君の真骨頂

■百人中九十九人にほめられる人間はろくでなし−武田信玄

<本文から>
 話の聞き方に四とおりの反応を示す若者たちの使い方について、信玄は次のようにいう。
・人の話をうわの空で開いている者はそのまま放っておけば、いい部下も持てないし、また意見をする者も出ない。一所懸命忠義を尽くしてもそれに応えてくれないし、また意見をしても身にしみて聞かないからだ。したがってこういう人間に対しては、面を冒して直言するような者を脇につけることが必要だ。そうすれば、本人も自分の欠点に気づき、みずから改め、ひとかどの武士に育つはずだ
・二番目のうつむいて人の話を身にしみて開く者は、そのまま放っておいても立派な武士に育つ。こういう人間の存在を、一番目の人の話を身にしみて聞かない者に教えてやることも大事だろう。
・三番日の、あなたの話はよくわかります、おっしゃるとおりですという反応を示す者は、将来外交の仕事に向いている。調略の責務を与えれば、必ず成功するに違いない。ただ、小利口なので、仕事に成功するとすぐいい気になる欠点がある。そうなると、権威高くなって、人に憎まれる可能性があるのでこのへんは注意しなければならない。
・四番日の席を立つ者は、臆病か、あるいは心にやましいところがあるものだから、育てる者はその人間が素直に、その欠点をみずから告白して、気が楽になるようにしてやらなければならない。そうすることによって、その人間も自分の気にすることを払拭し、改めて奮い立つに違いない。こういう者に対しては、責めるよりもむしろ温かく包んでやることが必要だ
 こういうように、
 「どんな人間にも必ず見所がある」
 とする信玄は、新しい人間を召し砲えるときにも、
 「百点満点の完全な人間を採用するな。人間は少し欠点があったほうがいい」
 と命じた。また、
 「武士で、百人中九十九人にほめられるような人間はろくなやつではない。それは軽薄な者か、小利口な者か、あるいは腹黒い者である」
 といい切っている。
 信玄は子供のころ父に憎まれた。父は弟のほうをかわいがった。
 「ゆくゆくは、信玄よりも弟のほうを自分の跡継ぎにしよう」
 と考えていた。信玄は子供のころは道化を装ったという。子供ごころにも、それが自分の身を守る唯一の処世術だと考えたのだ。それだけに、振り返ってみれば、
 「なぜ、おれはあのときあんな卑しいことをしたのだろう?」
 あるいは、
 「あのとき、自分はこころにもないことをして、父の機嫌を取った。ほんとうに酔いこころの持ち主だ」
 などと思い出すたびに、身悶えをする。そういう反省と自己嫌悪の経験があるから、信玄は人間を見る目が鋭かった。彼は自分がいやな体験をしただけに、
 「若い者にそういう経験をさせたくないし、またそういうことを教え込む大人の知恵を退けたい」
 と考えていた。そうするためには、
 「どんなに欠点がある人間にも、必ず一つくらいいいところがあるということを本人並びにまわりに知らせることが大切だ。それが指導者の役割だ」
 と考えていた。この彼の、
・欠点があるからといって、けっしてその人間を見限らない。
・小さな過ちをとらえて、おまえはもうだめだというような決めつけはしない
 という人の育て方は実に見事である。

■贈り物一つするにしても、相手側の事情を徹底的に調べる−河合隼之助

<本文から>
  (なるほど。贈り物一つするにしても、相手側の事情を徹底的に調べて、何が好みかということを河合様はおつかみになっているのだ)
 という、いってみれば河合がこの会議を開いた目的を、正確に理解しはじめていたからである。河合隼之助が自分の席の前で、引き取った三人の道楽者を呼んで、
 「土方様の所にお届けする贈物は何がいいか」
 ということを大声で論議しているのは、何も贈物を決定するプロセスをほかの武士に告げているわけではなかった。つまり、
 「おまえたちはきれい事だけを口にして仕事をしているが、実をいえば酒井家が存立していくためには、こういう舞台裏のドロドロした泥をかぶるような仕事があるのだ。それを引き受けるのがこの間遺児たちなのだ」
 あるいは、いまの組織でいう総務部には、
 「ほかのセクションに属さない仕事」
 があることを、はっきり認識しろということを一つの問答という形を借りて告げていたのである。
 いわば社員教育も兼ねていた。普段から河合を尊敬する都下たちは、敏感に彼の目的を知った。同時に河合と三人の問題児が交わしている問答が面白い。みんな、仕事の手を休めて耳を立てた。視線は一斉に四人に注がれていた。河合はそういう気配を知って、
 (これで脳天気な極楽トンボたちも、少しは自分たちを振り返るだろう。現実に即した
 仕事をするようになるだろう)
 と感じた。
 三人の道楽者たちは、当時流行していた銘酒といわれる叙菱を届けることをすすめた。しかし現物を樽で届けるのではなく、樽の呑み口を持っていけば、軽くてすむし、また
 土方のほうでも、
 「酒井家はなかなか粋なことをする」
 と感ずるでしょうといった。この意見を重んじて、ある日河合は叙菱の呑み口を十五ばかり揃え、土方のところへ出掛けていった。土方は愛想よく河合を迎えた。
 「これは名家老の河合棟、いったいわたくしのようなものに何のご用がおありでございましょう?」
 酒井家も徳川家の名門であり、家老河合隼之助の名は日本中に鳴り響いていたので、土方はお世辞でなくそういった。河合は恐縮した。

■問題児の「本気」が工作の失敗を覆した

<本文から>
 工作に失敗した河合は、さすがに苦渋に顛をしかめ続けた。三人の問題児はそれを見てヒソヒソと話し合った。やがて、三味線を弾く出淵伊惣治がやってきてこういった。
 「ご家老、呑み口は失敗しましたね?」
 「ああ。呑み口は確かに喜んでくれたが、だからといって酒井家のお手伝いを中止するわけにはいかないというご返事だ。さすがに土方様はそんなに甘い人間ではなかった。こっちが見くびったのが悪かった。おれの貴任だ」
 「うわさによると土方様は、非常に浄瑠璃がお好きなそうです。わたしも結構浄瑠璃を語ります。どうでしょう? わたしが土方様の使用人として住み込みましょうか?」
 「なに」
 びっくりして河合は出淵を見返した。出淵は顔は微笑んでいるが目は真剣な色をたたえていた。出淵は本気でそう思っていた。
 「武士のおまえがそんなことまでするというのか?」
 「いたします。河合様のためなら命も捨てます」
 低い声で出淵はいい切った。職場が一瞬シーンとした。出淵の思い切ったことばにみんな緊張したのである。河合はまじまじと出淵を見つめた。
 「なぜだ?」
 「ご恩返しです。わたしのようなろくでもない藩士を、河合様は救ってくださいました。生きる希望を失っていたわたしに、仕事の面白味を与えてくださいました。その河合様がいま絶体絶命の立場に追い込まれています。せめてわたしの芸が藩を助けるのならば、その芸を河合様に捧げます。どうかわたしを土方様の家に住み込ませてください」
 「おまえはそこまでおれのことを考えてくれるのか?」
 「わたしだけではありません。河合様のためなら、出まかせ平蔵も小言幸兵衛も、喜んで命を捨てますよ。なあ?」
 出淵はそういって、脇にいた青木平蔵と古市藤之進を振り返った。青木と古市も、真顔ではっきりうなずいた。突然河合の瞼が熱くなった。胸のなかから感動の血潮が駆け上がってきた。河合はうなずいた。
 「出淵、おまえの志を受けよう」
 「ありがとうございます」
 こうして出淵は身分を隠して土方の家に住み込んだ。そして得意の浄瑠璃をうなっているうちに、たちまちこれが土方の耳に入り、出淵は土方が片時も離さない部下にのし上がった。が、土方もバカではない。やがて出淵の目的を知った。出淵は涙ながらにほんとうのことを話した。土方は感動した。
 「河合殿は幸福だ。こんなにも忠義を尽くす家臣がたくさんいて、おれとは比べものにならない」
 そういった。
 土方の進言によって、水野出羽守は酒井家に対するお手伝いを中止した。
 というよりも、その工事を中止した。いまの徳川幕府の置かれた状況で、そんな工事をするような余裕はとてもなかったからである。出淵は意気揚々として土方家から戻ってきた。河合は芸で藩を助けてくれた部下の手をしっかり握り、
 「ありがたいぞ。おまえのお陰で助かった」
 といった。出淵はニコニコ笑いながら、
 「こんなろくでもない問題児を、河合様が目をかけてくださったからですよ」
 と応じた。
 戦国時代の武将武田信玄も人使いの名人といわれた。信玄はいつも、
 「われ人を用うるにあらず、人のわざを用いらるなり」
 といっていた。これは、
 「人柄や人格よりも、技能が大切だ」
 という彼の人使い法である。が、そうはいっても信玄は相手をよく見た。彼ほどの人間通はいない。
 「どんな人間にも役立つ長所がある」
 というのが信玄の人間観だった。河合隼之助も同じだ。彼はいま姫路神社内にまつられている。

■徳川吉宗は『日本式経営』を見直した経営者

<本文から>
 いま、徳川吉宗を書いている目的は、彼が、
 「いわゆる『日本式経営』を見直した経営者」
 だからである。日本式経営を見直したというのはどういうことだろうか。多くの経営者や外国人が、
 「日本式経営は古い」
 ということから、この見直しが行われているが、ここでいうのは必ずしもそういう立場に立ってのことではない。見直すというのは、
 「もう一度初心・原点に戻って、事柄を見つめ直す」
 ということだ。もしも、いま向き合っている事柄に対して、すでに手垢のついた先入観や固定観念が生まれているとすれば、それを全部洗い落として、素材の段階にまでその事柄を戻してみようということだ。日本式経営についても同じことだ。いままで行われてきた日本式経営がそのまま通用するということではない。
 「日本式経営も、長い年月を経ているうちに、いろいろとサビやアカがついて原材料のよさを見失っているのではないか」
 ということだ。

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