童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          葉隠の人生訓

■家康は「君、君たらずとも、臣、臣たれ」と解釈の変更

<本文から>
「神君徳川家康公は、大坂の陣で豊臣家を滅ぼした後、日本の武士の考えを大きくお変えになりました」
「戦国時代の、下剋上の考えは邪魔になってきたということですね」
「そうです。”君、君たらざれば、臣、臣たらず”というような戦国の武士の考えは、泰平時代には邪魔です。したがって、”君、君たらず、臣、臣たらざるは乱の本なり”という言葉がありますが、これが前面に出てきました。
 つまり、”君、君たらずとも、臣、臣たれ”というような上にとって都合のいい部下でなければ、泰平の世は治まらないということになりました。つまり、君臣の大義名分を明らかにするということです」
「そのために、家康公は学者林羅山の主張する栄子学を導入して、日本の武士の意識を変えたのですね」
「そうです。そのために、以後、武功などは問題にならず、ソロバン勘定や年貢の徴収額をいかに増やすかというような才幹を持つ者がどんどん登用されました。
 関ケ原の合戦や大坂の陣で、かなりの大名家が潰れ多くの失業浪人が出ました。かれらの再就職にあたっても、相手側が求めるのはやはり、ソロバンができるかとか、あるいは年貢の増収方法にどんな考えを持っているかなどということがモノサシになったのです。どこどこの戦 場で、こういう手柄を立てたなどということは一笑に付されました。

■直茂は三河物語を快く思わないで、武士の気持ちを失うなと

<本文から>
 「そうです。田代殿はよく『三河物語』をご理解になっておられます。
 大久保彦左衛門穀が”いま江戸城で出世する武士”としてあげたのは、一、主君を裏切り、主君に弓を引く者 二、卑怯な振る舞いをして人から笑われるような者 三、世間体のよい書 四、ソロバン勘定のうまい者 五、仕事が嫌になると、すぐ転職してしまう者などです。
 そして逆に”いま江戸城で出世をしない武士″は、一、主君を裏切らない忠義者 二、戦いだけに生きる者 三、世間付き合いの悪い者 四、物事に絶対にソロバン勘定を持ち込まない者 五、最後まで主人に仕えつづける者としています」
「逆ですね」
「そうです。本当なら、大久保彦左衛門殿がいう″いま江戸城で出世しない武士”が、出世しなければおかしいのです。おそらく、この分類は江戸城の武士たちの拍手喝采を受けたでしょう。次第に追い詰められていく古い型の武士の気持ちを、大久保彦左衛門殿が代弁していたからです。
 この『三河物語』はそのために、多くの不満武士が書写しました。原本と呼ばれる書写本がいまたくさんあるそうです」
「わたくしもそう開きました。しかし、先生」
「はい」
「そのことと、勝茂公のご苦心とはどのように関わりを持つのですか」
「いいお尋ねです。勝茂公が、父君直茂公のご意図をよくお踏まえになつたというのはそのことなのです。
 つまり直茂公は、武士が次第にソロバン勘定が達者になり、年貢の計算ばかりしているありさまをけっして快くは思っておられませんでした。直茂様は、佐賀武士は最後まで武士の気持ちを失ってはならないとお考えでした。

■諫言の難しさ

<本文から>
 「諌言の難しさでございます。どうすれば、殿様や御家老など上位におられる方々に、こちらの諌めをお聞き届けいただけましょうか。その方法について、お知恵があればお教えください」
「なるほど」
 常朝は領いた。日を和ませて田代を見返した。田代の問いが、的を射ていたからである。常朝はいった。
「神君といわれた徳川家康公がこんなことを申されました。諌言は、一番槍よりも難しいと」
「は?」
 唐突な発言だったので、田代には意味を理解しかねた。目でその意味を尋ねた。常朝はつづけた。
「家康公がおっしゃるのは、戦場での一番槍は何も考えずにただ闇雲に突き進んでいけばよいのだからこれはやり易い。しかし諌言となると難しい。というのは、その諌言をする者の立場や人柄や、あるいは諌言をするときの態度などを、される側はじつとみつめている。つまり、この諌言をする者に私心はないのか、私欲があって出世のために自分を諌めようとしているのかどうかなどをいろいろ思い巡らすからだと申されるのです。
 もしも、諌言をする者に私心があれば、これはけっしてうまくいきません。された方も、あまり快く思わず、その諌言者に対して不快な感情を持ちます。諌言者が誠心誠意、主人を思う忠誠心だけで諌言をtたのなら、主人がどう思おうともそんなことは気にする必要はありません。
 自分は正しいと自信を持てばいいのです。ところが家康公がおっしゃるのは、必ずしも諌言をする者はそういう者だけではない。
 立派なことをいって、主人を諌めたことを、手柄を立てたという風に受け止める。そして、その場を去ってから同僚や部下たちに得々として自慢する。これがすぐ主人の耳に入る。主人は不快感をいよいよ増す。そして自分の思うとおりで、あいつは忠誠心から諌言をしたのではなく、諌言をしたことによって立身出世したいという私欲を露骨に示しただけだと感ずる。これがまた諌言をした者の耳に入る。すると諌言をした者も、後ろめたくなる。
 それが高じると、お城へ上がるのが辛くなつてくる。仮病を使ったり、あるいは理由を設けてズル休みをするようになる。主人もそのことを知る。あいつはどうしたのだと周りに聞く。病気で休んでおりますという答えが得られると、では見舞いにいってこいと命ずる。ところが見舞いにいくと本人はピンピンしていて、実はこういう事情でお城に上がりにくい、殿様のお顔を見るのが辛いのだと告白する。この報告を受けた主人は、やはりそうかと苦い汁を飲んだ思いになる。
 結局、主人の方も、諌言をした者の顔を見るのが嫌になって、どこかへ飛ばしたり、あるいはクビにしてしまったりする。諌言をした者も、神経を病み、しまいには諌言などしなければよかったと後悔する。
 こういうことがあるから、家康公は合戦場における一番槍よりも、平和時の城内における言の方が余程難しいのだと仰せられたのです」

■諫言に兵法がある

<本文から>
 したがって、わたしは諌言をするときには、いろいろなやり方があると思いますが、真に忠義の心から発する場合には、やはり周りに知られないようにすることが大切でしょう。主人と二人だけになつたときに、そっと諌めることが肝要です。それも、日ごろから主人の気質をよく知っておいて、どのように話せば自分の諌めがきちんと伝わるかということを、合戦のときにおける兵法のように考えるべきです」
「諌言にも兵法があるということですか」
「そうです。どんなによい内容の諌言でも、伝え方が下手であれば、逆効果になります。裏目に出て、諌言をした者は大きなお客めを受けるでしょう。人間はだれでも、他人から諌められることを好みません。特に殿様のような立場にある方は、耳あたりのいいことは受け入れますが、耳に痛いことは苦い薬を飲むのと同じでなかなか受け入れません。それを受け入れさせようとするには、やはり手段が必要です」
「手段とおっしゃいますと」
「一人ではだめだということです。特に、身分の低い目付役がいきなり投球に諌言をしても、殿様の方はこの無礼者とお怒りになるだけです。それぞれの職層に、協力者をつくつておくことが大事でしょう」
「協力者とは?」
「たとえば目付役を束ねる上司、さらに御家老、あるいは殿様のご親族などのなかに、その目付役に対しよい感じを持っていただくような種を蒔いておくことです。はっきりいえば『あの人間のいうことなら絶対に信頼できる』というような評判が立つような下持えをしておくことです。これが大切ですよ」
「よくわかります。諌言をするときは、けっして一人でまた公然とやってはいけないということですね」

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