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<本文から> 「神君徳川家康公は、大坂の陣で豊臣家を滅ぼした後、日本の武士の考えを大きくお変えになりました」
「戦国時代の、下剋上の考えは邪魔になってきたということですね」
「そうです。”君、君たらざれば、臣、臣たらず”というような戦国の武士の考えは、泰平時代には邪魔です。したがって、”君、君たらず、臣、臣たらざるは乱の本なり”という言葉がありますが、これが前面に出てきました。
つまり、”君、君たらずとも、臣、臣たれ”というような上にとって都合のいい部下でなければ、泰平の世は治まらないということになりました。つまり、君臣の大義名分を明らかにするということです」
「そのために、家康公は学者林羅山の主張する栄子学を導入して、日本の武士の意識を変えたのですね」
「そうです。そのために、以後、武功などは問題にならず、ソロバン勘定や年貢の徴収額をいかに増やすかというような才幹を持つ者がどんどん登用されました。
関ケ原の合戦や大坂の陣で、かなりの大名家が潰れ多くの失業浪人が出ました。かれらの再就職にあたっても、相手側が求めるのはやはり、ソロバンができるかとか、あるいは年貢の増収方法にどんな考えを持っているかなどということがモノサシになったのです。どこどこの戦 場で、こういう手柄を立てたなどということは一笑に付されました。 |
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