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<本文から> 龍造寺高房が自殺しかけたとき、たまたまぎんほそばにいた。そして、高房のからだから流れ出た血をなめた。その血の味はいまだにぎんの舌に残っているはずだ。その光景をじっと見つめていた志田吉之助は、
(ぎんが高房様の血を吸った)
と感じた。以来、吉之助はぎんに対する自分の気持ちがさらに重く複雑になったのを感じた。高房の鍋島家に対する恨みの念が、ぎんにも伝わったと見たからである。
(ぎんはただの猫ではない。龍造寺家の恨みを自分の体内に吸いこんだ存在だ)
そう思った。そう思うと、不気味な思いよりもぎんに対するいとおしさがわいてきた。ぎんのはうは、依然として吉之助を慕っている。死んだ慶闇尼は、
「猫は魔性のものだ。人間に媚を売っていれば、日々食べることに事欠かぬと思っている。なかなかずるがしこい」
そんなことをいったことがある。しかし吉之助はそうは思わない。
(猫は人間をよく見つめている。だから、人間の果たせなかったこころも引き継ぐ)
このぎんはおそらくそういう猫のなかでも、ひときわ賢い存在だ。鍋島直茂に滅ぼされた龍造寺父子と、慶闇尼の恨みの思いは、正確にこのぎんが引き継いでいる。であるならば、そのぎんを死ぬ日まで大切に飼い続けることが、おれの武士道なのだ、おれの忠誠心なのだ、と吉之助は自分の生き方を定めた。だから好感を示してくれる多久茂辰の呼びかけにも応じない。多久茂辰は持ち前の政治力からいって、
「最後までつっぱっている志田吉之助を抱きこめば、さらに自分の権威が高まる」
と思っているに違いない。
(その手にはのらない)
吉之助はそう心を固めていた。しかし、猫も老齢には勝てなかった。ある日ぎんが死んだ。以後、佐賀の城下町では不思議なことが起った。
「白衣の若い殿さまが、髪を振り乱し、唇から血を垂らして夜な夜な歩き回っている」
というのである。実際に、
「その若い殿さまをこの眼でみた」
という人間が増えてきた。そして白衣の幽霊をみたという人々は、
「白衣の若い殿さまの脇には、いつも大きな猫がいた」
といった。志田吉之助はニソマリと笑った。
「猫はぎんだ」
慶闇尼の飼い猫だったぎんほ、鍋島家が龍造寺家の実権を乗取っていく状況をジッとみつめていた。ロはきけないが、その眼の底にしっかりとあらゆることを納めたはずである。夜な夜な現れる若い殿さまほ、龍造寺高房だと噂された。鍋島家に乗取られた恨みが忘れられずに、こうして城下町に現れては同情を求めているといわれた。そして常にその高房と一 緒に歩き回るぎんは、やがて、
「佐賀の化け猫」
といわれるようになった。そういう話をきくたびに、老いた志田吉之助は暮夜、密かに一人でニソマリと笑った。 |
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