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<本文から> 八王子千人隊に課せられた責務の中に「いざ」という場合の戦闘行為がある。これは、江戸城が海側から攻め立てられて落城の憂き目にあったとき、将軍は半蔵門から脱走させる。そして甲州街道を一散に走り抜いて、甲府城に向かわせる。敵が追ってきたときは、これを八王子で食い止める。その核になるのが八王子千人隊だ。
また逆に、中山道から甲府城が攻略され、さらに江戸へ敵がむかったときに、第二次防衛陣として食い止めるのが八王子だ。このときも活躍するのが八王子千人隊である。
しかし、八王子千人隊が実際に戦争をしたのは、幕末維新のときだけだ。それまでは、完全に半士半農の生活を続けた。が、黙々と土を耕す千人隊一人ひとりの胸の底には、徳川直参武士たちがいつの間にか失ってしまった「忠誠心」が脈々と続いていた。それは多摩の地下水脈であった。そして、この地下水脈が新撰組に引き継がれる。やがては、自由民権運動にも発展していく。それは、「土を愛する精神」と「江戸を愛する精神」が、もっとも純粋に保持されたことにもルーツがある。 |
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