童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          大改革 長州藩起つ

■藩主は”そうせい”殿様

<本文から>
ちょうどこの頃、一揆に遭遇した十一代藩主毛利斉元が死に、代わって十二代斉広が跡を継いだが、斉広はわずか二十日で死んでしまった。そこで先代斉元の子敬親が十三代の藩主になった。世に、
「そうせい侯」
 と呼ばれた殿様である。部下の進言には、何でも、
「そうせい (そうしろ)」
 と大きく領いて許可したためである。しかしそうなると部下の方も考える。
「うちの殿様は何を相談してもそうせいとおっしゃる。おれたちも気をつけて、何でも持ち込むことをやめようではないか。そうしないと、殿様に責任が及ぶ」
 と、部下たちは部下たちなりに、
「殿様を守ろう」
 という責務感を持ち始めた。この辺は、
「信ずる者と信じられる者」
という人間関係であって、なんといっても信じられた方が負けだ。信ずる方が、
「何でもやれ」
と大まかに許可してしまうようなタイブだと、信じられた方は逆に何でも好きなことができなくなる。つまり、
「こんなことをすれば殿様が迷戒心する」
と考えるからである。これもまた長州藩独特の藩主と家臣の関係だ。

■高杉は人の心を読みとり組閣する

<本文から>
 ここへ着く前に村田蔵六は玉木文之進についてこんなことをいった。
「玉木さんは、わたしから見れば若い者の気持ちや新しいことが、すべてわかるという方ではないと思います。相当に古いところがあります。しかし玉木さんが偉いところは、若者の気持ちをわかりたい、わかろうと常に努力されていることです。あれには頭が下がります」
 聞いていて桂は、
(蔵六らしい感じ方だ)
若者の気持ちをわかりた
 と思った。
 しかし嬉しかった。高杉の組閣によって、玉木文之進はいま政事堂の手元役という枢要なポストに就いている。学者でありながらそういう役に就いているのは、明らかに桂のためだ。
桂は手元役よりも上位職である用談役に任命されていることになっている。他の手元役や蔵元役や用所役などがすべて複数なのに対し、用談役は桂ひとりだ。これも高杉の配慮である。
「参謀が沢山いたのでは、船頭だけが多くて物ごとが決まらない。ひとりでやれ」
 馬関で高杉はそういった。桂は高杉の好意が嬉しかった。そして、
(この男は本当におれの身になって石を置いている)
 と感じた。
 桂が戻る前に高杉は桂の代わりに碁の戦いを始めていた。そしてその石の置き方が、完全に桂の立場に立ったものだった。その才能は素晴らしい。高杉は詩人だから人の心を読み取るのが鋭い。そういう特性が今度の組織と人事にも表れていた。
 「玉木先生もご健勝でなによりです」
桂も挨拶を返した。玉木は微笑んだ。

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