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<本文から> ちょうどこの頃、一揆に遭遇した十一代藩主毛利斉元が死に、代わって十二代斉広が跡を継いだが、斉広はわずか二十日で死んでしまった。そこで先代斉元の子敬親が十三代の藩主になった。世に、
「そうせい侯」
と呼ばれた殿様である。部下の進言には、何でも、
「そうせい (そうしろ)」
と大きく領いて許可したためである。しかしそうなると部下の方も考える。
「うちの殿様は何を相談してもそうせいとおっしゃる。おれたちも気をつけて、何でも持ち込むことをやめようではないか。そうしないと、殿様に責任が及ぶ」
と、部下たちは部下たちなりに、
「殿様を守ろう」
という責務感を持ち始めた。この辺は、
「信ずる者と信じられる者」
という人間関係であって、なんといっても信じられた方が負けだ。信ずる方が、
「何でもやれ」
と大まかに許可してしまうようなタイブだと、信じられた方は逆に何でも好きなことができなくなる。つまり、
「こんなことをすれば殿様が迷戒心する」
と考えるからである。これもまた長州藩独特の藩主と家臣の関係だ。
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