童門冬二著書
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          ばさらの群れ

■楠木正儀の面影

<本文から>
兼好法師から、この邸を占領していたのが楠木正儀だということを聞いていて、道誉は、
(さすがだ! 楠木正成公のご子息だけのことはある)と感動していた。眠蔵の前に立った時、道誉は、思わず唸った。美しい鎧と、自覆輪の太刀が一ふり掲げられてあったからである。
「これは、楠木殿のものか?」
 従っていた兼好法師にきいた。
「さようでごぎいます」
「実にみごとだ」
 佐々木道誉は、文中二年(二二七三)八月二十五日に死ぬ。七十八オである。ぱさら大名の中では最も長命な男であった。その頃は足利尊氏も死に、世は三代将軍足利義満の時代になっている。義満は、金閣寺をはじめ、黄金の室町文化をつくり出す。しかし、その陰には明らかに佐々木造営がいた。義満は、造営からばさら文化の粋を、底の底まで学んでいたからである。その頃の造営は、「室町きっての大茶人」といわれるようになっていた。その道誉の脳裡には、いつも自分の邸内に風雅の限りをつくして行った楠木正儀の面影があった。

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