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<本文から> いってみれば、出向社員西郷隆盛は、出向先で失敗した。それは、出向先の状況把握が甘かったことと、また、あまりにも、「努力主義」に走ったことだ。つまり、結果を冷静に見つめないで、
「人間は誠意をつくして努力すれば、かならず天が味方してくれる」
というような、いわば不確実な希望を抱いて行動したことだ。これが裏目に出た。そして、本社に逃げ帰った。本社では、初めはかれを温かく迎えなかった。冷遇した。さらに、島に流した。つまり、出向先で失敗した社員を窓際族からベランダ族に追い、さらに昇降階投に机を移したということだろう。しかし、西郷は耐えた。大きな声で不平をいったり不満をいったりはしなかった。
(おれのやり方にも、やはり悪いところがあったのではなかろうか?)
と自分を反省した。この反省の目で薩摩藩を見つめた時、薩摩藩にも、いろいろとおかしいことがあることを知った。西郷の第二段階、第三段階は、
「薩摩藩のおかしいところを直しながら、おれ自身も成長していこう」
ということであった。
禊を経た西郷は、生まれ変わった。かれは、その体躯と同じように、巨人に成長していった。西郷隆盛の場合は、出向先で失敗して、本社に逃げ戻り、本社で冷や飯を食わされたものの、自らの努力によって、再びカをもり返したということだ。そして、カをもり返した時は、出向前よりもはるかに巨大な存在になり、薩摩薄の西郷から、日本の西郷に成長していたということである。
そして、それを側面的に応援したのが、大久保一蔵である。 |
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