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<本文から>
山南敬助は苦笑した。何度も沖田総司には語った話だ。
少年のころ、あれは故郷の仙台でのできごとだった。自分の住む村の境にある山をこえた向うのまちに、山南敬助はなぜか一度行ってみたい、という願いを持っていた。山向うのまちに何か格別のものが存在するとでも思っていたのだろうか。
その日、少年の山南敬助は、荷をはこぶ車に馬をつないで山を登りはじめた。そう高い山ではないので勾配はなだらかだった。時のところだけがやや急坂になった。馬は首をふりながら、軽い山南敬助の身体をのせて順調に坂をのぼって行った。このままなら、馬車にのったままで峠をこえられるかも知れなかった。
時の稜線が見えてきた。空がくつきりと峠の向うにひろがっていた。その空の下に求めるまちがあるはずだった。山南敬助の胸ははずみはじめた。
しかし−その胸のはずみかたは、決して憧れているまちにいま行ける、というよろこびに満ちたはずみかたではなかった。山南敬助はあのとき、
「まちには行けない」
と、はっきり感じたのである。ということは、ちがう云いかたをすれば、
「峠はこえられない」
と感じたのであった。
つまり、峠は運命の壁のようなものであった。他人にはこえられるかも知れない。しかし、山南敬助にはこえられない何かを、あのとき山南敬助は、確信したのである。
もう数米で峠の頂だというとき、車にむすんであった綱が切れた。馬はそのまま突っ走った。空の青さがひときわさびしく山南敬助の眼に映った直後、車はまっしぐらに坂をズリ落ちた。車が路肩を崩して谷へ落下する前に、山南敬助はとびおりた。けがはしなかったが、このとき、
(おれが求めるものは決して得られない)
という諦念が勃然として心の一角に湧き、それは終生消えないつよさを持ってそこに降伏してしまった。
以来、今日まで山南敬助は自分の半生に、この諦念をうちやぶる経験を事実として持たない。何かいいことがありそうな状況が訪れても、それは必ず手にする前に去った。いいことはつねに峠の向うの存在物であり、山南敬助は、いずれはズリ落ちる車の上にのっているのであった。そういうもどかしさとやりきれなさが、山南敬助の心の中に一個の桶を用意し、絶望がその都度一滴のしずくとなって、冷たく心の桶に溜るのである。 |
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