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<本文から>
「不動明王の周りに炎が噴き立っているのは、あれは不動の怒りであり憎しみでありいろいろな怨念だ。燃え盛る炎となって自分を包んでいる。しかし不動明王は、決してその炎で他人を焼こうとはしない。つまり、かれは自分の苦悩を世の中への対抗要件にして、おれがこれだけ苦労したのだから、おまえたちに仕返しをしてやるなどとは思っていない。この世の不正義を焼こうとしているのだ。
つまり、自分自身に起こったいじけやひがみや怒りや憎しみを、不正義を焼く正義の心に変えてこの世に現れたのだ。おまえの場合はちがう。自分の受けた不当な扱いを恨みに変えて、世の中に報復しようとしている。
同じ炎を燃え立たせていても、不動明王は公の精神をもって炎を吹き立てているのであり、おまえの方は自分という小さな我執に正当性を与えようとしてあがいているのだ。おまえがどんなに光茂さまや綱茂さまに忠節を尽くしたといっても、まだ自分を捨てきっていない。
忠誠心の中に自分を完全に投入していない。自分に拘わる小欲がありありとみえる。そんなことでは不動の膝元にも及ばない。不動と自分を一緒にするなど大それたことだ。とんでもないことを考えるな。この小僧め」
口をきわめて罵った。
甚然和尚はもともと変わった人だと思っていたから、常朝は腹を立てない。しかし悔しかった。何もこんなに言柴をきわめて罵らなくてもいいではないかと思った。
が、落ち着いて考えてみれば甚然のいうことは正しい。炎を吹き立てて怖い形相をしている不動明王をみて、「まさしくあの炎は自分だ」と思ったが、それは傲慢というものだ。自分を過大視しすぎる。たしかに甚然和尚のいうように不軌明王の足元にも及びもつかないのに、「自分のいまの心の状況は、この不軌の画像と同じだ」などといい切るのは、傲慢だ。
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