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<本文から>
「農民たちに新しい農耕具をつくらせたいので、それを図で示して理解させたい」
と申し出られたときは、崋山の生命は躍った。つまり、
「自分の描く農耕具の絵が、農民たちの仕事の助けになれば、こんなうれしいことはない」
と感じたからだ。いままで描いてきた絵は、どちらかといえば人物画とか花鳥画などの自然を扱ったものだ。つまり鑑賞画である。ところが大蔵永常が求めるのは、
「実際に農民に役立つ絵」
である。実用画だ。崋山はうれしかった。
「承知しました。その農耕具をみせていただきたい」
と承知した。
大蔵永常が農政指導者としてすぐれていたのは、次のような考え方を持っていたからだ。
・農家が富むことによって藩も富む
・農家が富むには、農作物の新しい開発をおこなわなければならない
・新しい農産品の開発は、「これしかできない」という固定覿念を持っていてはできない。他国でつくられた農作物も勇気を持って「実験栽培してみよう」という積極性がなければだめだ
・しかし新しい農作物の開発にしても、単に「やる気さえあれば何でもできる」という観念論ではだめだ。やはり道具が大事だ
・新しい作物をつくるには、その作物にみあった農耕具がある。そのため、諸国で使われている農耕具を可能な限り調べ、活用することが必要だ。そのほうがかえって労力と時間を省略できる
・自分は、諸国をあちこち歩いているので、「こういう農作物をつくるには、この地方ではこういう農耕具を使っている」ということをよく知っている
・それを、多くの地域の農民たちに示したい
だから渡辺崋山に、
「この土地で、新しい農作物を栽培するため農耕具を図に描いていただきたい」
と告げたのには、目的があった。大蔵永常は、
「田原の土地で、砂糖栽培と紙の製造をおこなってみよう」
と考えていたのである。 |
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