童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          失われし男の気概

■高齢者になるとふたつの生き方に分けられる

<本文から>
 そして一方においては、実務的に、
「経営感覚にすぐれ、ソロバンの術に長じた武士」
 がどんどん登用されるようになった。
 大久保彦左衛門は、こういう端境期に生きていた高齢者武士である。
 現在のビジネスマンでも同じだが、高齢になると生き方がふたつに分かれる。ひとつは、「こうるさい文句をいうのをやめて、ききわけのいいご隠居さんになろう」
 と、安穏な座に自分を置こうとする態度である。もうひとつは、
「いままでの自分は少し属する組織に対して遠慮しすぎた。もう余生がいくらもないのだから、この際思い切っていままでいえなかったことをいうようにしよう」
 という態度だ。大久保彦左衛門は後者だった。かれは若いころから徳川家康に仕え、しゃかりきに合戦場で手柄を立ててきた。武功一本槍で生き抜いてきた。それが、平和になってからガラリと世間の空気が変わった。そして大久保彦左衛門のような存在は、どんどん窓際に追いやられた。放っておけば窓際から廊下に出され、廊下から庭先に放り出される、
「庭先族」
 になりかねない。そこまで冷遇された彦左衛門は考えた。
「おれも高齢だ。今後どうするか」
 このとき彦左衛門が考えたのは、
「次々と江戸城の庭先へ追い立てられている武功派のために、もう一度挽回策を講じてやろう」
 ということである。
 この辺は、現代になぞらえてみれば、
「裁量制給与に対する異議申し立て」
 といっていい。

■大久保彦左衛門の『三河物語』には組織における永遠の心理が描かれている

<本文から>
したがって大久保彦左衛門がそれまでの五分の四までを、根気強く、
「徳川家の正しい歴史」
として書き続けてきたのは、実をいえば、
「これだけ先祖以来協力してきたのに、いまの扱いはいったいなんだ」
という最後の五分の一をたたきつけるために用意した土台だといっていいだろう。
 ここでふっと思うのだが、こういう企てはいまの会社が正式に取り上げてもいいような気がする。つまりリタイアした人びとに、
 「それぞれの思い出を、社史という立場に立って書いてもらえないか」
 と呼びかけることだ。多少の補助金を出すことが望ましい。そして、それを総合的に比較検討しながら、
 「社員の見ていた会社」
 という形で社史に帰納されたら、それはそれなりに大切な資料になるはずだ。無味乾燥な専門家による社史よりも、ほんとうはこういう人間臭い社史のほうがどれだけのちの世に役立つかわからない。大久保彦左衛門の『三河物語』がいまだに読みつがれているというのは、別に徳川家に関わりのないわれわれにしても、ひとつの、
 「組織と人間論」
が、不朽の光を放っているからだ。つまり大久保彦左衛門がどんなに、
 「これがおれの不満だ」
 と主張しようとも、『三河物語』の底に流れている、
 「組織における永遠の心理」
 が、ひとつの原則として据えられているからである。

■日本では決めつけによる排除で有能な人間が切り捨てられた

<本文から>
 エズラ・ボーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本は、日本の経済の高度成長期に読まれたものだから、これまた、
 「いまの不況期には役立たない」
 と思う向きが多い。しかしこれもまた、
 「黒か白か」
 「オール・オア・ナッシング」
 的、短絡思考をとる人間の悪いクセだ。一カ所が悪いと、いいところがあっても丸ごと放り出してしまう。
 「あんなものはもうだめだ」
 と決めつける。おそらくこういう性向が、人間に対してもおこなわれているのではなかろうか。自分のモノサシで、
 「あいつはだめだ」
 となると、それを仲間うちに吹聴して、とことんその人間を排除する。どんなにいいところがあっても、
「どんないいところがあろうと、ああいう欠点のあるやつはだめだ」
 と切り捨てる。こういういわば、
 「決めつけによる排除」
 によって、いままでの組織でどれだけの有能な人間が切り捨てられていったかわからない。

■万里の優れた記憶のエピソード

<本文から>
「掛け金は?」
「それも台帳が焼けてしまったので、いまのところつかみようがありません。どちら様にどれだけの掛け金があったのか、頭の中に記憶がぜんぜんないのです。つくづく、自分の頭の悪さがいやになります。何もかも台帳だよりでしたので」
「そうか」
 万里は、腕を組んでたたずんだままちょっと考えた。やがて、
「ご主人、何か書くものをもってきなさい」
 といって、焼け跡の一隅に腰を下ろした。弟子があわててそばへ走った。
「先生、お尻が汚れます」
 そういって、万里を立たせ、焼けた材木の上に自分の手拭いを敷いた。
「ありがとう」
 弟子に礼をいって万里は腰を下ろした。主人が紙と筆をもってきた。
「紙をもってまいりましたが」
「これからわたしがいうことをそこに書きなさい」
 万里はそういった。主人は、
 「?」
 とまゆを寄せて万里を見返した。万里が何をしようとしているのか、わからなかったからである。万里は宙に日をあげると、主人に語りかけた。
 「何なにまちの誰だれ、掛け金一分」
 「え?」
 主人はびっくりした。
 万里はさらに続ける。
 「何なにまちの誰だれ、掛け金はこれこれ」
 「はい」
 主人の目は輝き、心は弾み出した。万里が主人に告げているのは、焼けてしまった台帳に書かれた客の注文事項や、掛け金の額である。弟子たちは思わず顔を見あわせた。
 万里は次々と、一度見た台帳に記載されていた事柄をすべて主人に告げた。主人の胸は弾み、目が熱くなるほど痛くなった。筆にカをこめて、万里のいうことを次々と書き取った。
 やがて万里は、
 「このくらいかな」
 とつぶやいた。そして自分の頭をこぶしでたたきながら、
 「歳のせいか、記憶力が弱まった。これ以上思い出せない」
 と笑った。主人は激しく首を横に振った。
 「とんでもございません! これでは、まるで焼けた台帳がもう一度手元に戻ってきたようなものでございます。おそれいりました」
 と礼をいった。弟子たちはあきれて声も出ない。
 「先生は、雨宿りの日にあの台帳を一度ご覧になっただけだ」
 「それだけで書かれたことをすべて暗記なさっていた」
 「あの記憶力にはとてもかなわない」
 「先生の記憶力は、まさに神業だ」
 そんなことをささやきあった。万里は立ち上がり、
 「ご主人、多少はお役に立ったかな?」
 ときいた。主人は、
 「とんでもございません。まるで、地獄でホトケ様に会ったようでございます。先生はホトケ様です」
 「大げさなことをいっては困る。しかし、いちおうは相手にも当たったほうがいいぞりわたしの記憶がまちがっていたら、申しわけないことになるから」
 「そうさせていただきます。本当にありがとうございました」
 「なんのなんの、ふだん世話になっているからちょっとしたお返しだ」
 万里は笑った。そして弟子たちに、
 「おい、もう少し歩こう。いや、走ったほうがいいかな」
 といいながら、小走りに先に立った。あとを追いながら弟子たちは、
 「まったく先生にはかなわないな」
 と話しながら続いた。走りながら弟子のひとりがきく。
 「先生はなぜそんなに記憶力がいいのですか?」
 とふしぎがる弟子たちに、万里は笑ってこう答えた。
 「それはわたしの頭の中に、いつも空き部屋があるからだ」
 「頭の空き部屋?」
 弟子たちは顔を見あわせた。万里のことばの意味がわからなかったからだ。
(中略)
好奇心をもつということは、つねに頭の中や胸の中に空き部屋をつくっておいて、新しく見たことやおぼえたことを受け入れるだけの余裕をもつということだ。これがなければ、結局はいまもっていることにこだわって、自分は正しい、相手がまちがっている七いう考え方になってしまう。
 わたしがこのあいだ染物屋の帳簿が焼ける前に一目見ただけで、すべて暗記していたのは、頭の中に大きな空き部屋があったからだ。一目見ただけでも、染物屋の帳簿に書いてあったことすべて頭の中の空き部屋に入り込んだ。それをもう一度戸を開けて、染物屋に返してやっただけだ」
 弟子たちは、まだみんな若いから万里のいっていることが完全には理解できなかった。しかし、
 「たとえ歳を取っても、頭の中に空き部屋をつくっておいて、いつでも新しいことを受け入れられるようにしなければダメだ」
 といういい方は、どこか新鮮で若者たちの心に希望の光を与えた。弟子たちは目で、
 (うちの先生はすばらしい)
 と語り合った。
 帆足万里はこういうように、
 「学問と実社会との結びつき」
 を重視していた。同時にそれは、万里自身にすれば、
 「これもボケを防ぐひとつの方法だ」
 と考えていた。つまり、
 「歳を取り、実務から遠ざけられたからといって、悠々自適などというくらしばかりしていれば、やがてはボケてしまう。世の中との関わりを失ったら、人間としての生きがいもなくなる。結局孤独感に襲われ、世の中からどんどん遠ざかる。世の中のほうも相手にしなくなる。そうなると世の中に対して非生産的なことばかりするようになり、みんなに嫌われてしまう。自分自身のためにも、いつも世の中で何が起こり、なぜそれが起こったのか、どうすれば解決できるのかということを自分なりに考えることが必要だ」
 と自身にいいきかせていた。

■古い知識や技術をもつ層が新しい改革の緩衝剤となる

<本文から>
 斎藤用之助という老武士がいた。二代目の藩主光茂は、やる気十分で一挙に佐賀藩内の改革と、近代化を考えた。そこで武士の訓練にも、刀や槍の代わりに鉄砲を用いた。
 鉄砲隊長は、斎藤用之助にも訓練の出席を求めた。しかし用之助は抵抗した。現在でいえば、急ぎすぎるOA化に対し、経験豊かな老武士としての抵抗を示したのである。訓練には出ない。鉄砲隊長は怒って、このことを藩主の光茂に報告した。光茂も怒った。そして斎藤用之助を呼びつけ、
 「おまえはおれの改革の意図がわからないのか? 鉄砲の訓練に出ろ」
 と命令した。以後、斎藤は鉄砲の訓練に出た。しかしわざと宙を撃ったり、土に弾を当てたりした。鉄砲隊長は弱った。光茂は怒って、
 「斎藤に腹を切らせろ!」
 とわめいた。気鋭で若い光茂には、自分の命令に背く老武士の存在がうとましく、他の者にしめしがつかないと思ったのである。
 この話を父の勝茂がきいた。勝茂は光茂を呼び出した。こういった。
 「世の中が変わったのだから、おまえがやる気を起こして佐賀藩を改革しようという意図はよくわかる。しかし、その改革がすぐ受け入れられる若い武士と、そうでない古い武士がいる。古い武士は、いろいろと教養を積んで、ものの考え方が深い。そういう人間にいきなり鉄砲のような新しい技術を教え込んでも無駄だ。とくに、斎藤用之助のような武士は、わたしだけでなく父の直茂公までも支えてくれ、生命を的に戦い抜いてきた存在だ。そういう存在を、いきなり切り捨てるようなことをすると、鍋島家は安泰でなくなる。よく考えて欲しい」
 と諭した。光茂もバカではない。一時はカッとして斎藤に、
 「腹を切らせろ!」
 とわめいたが、わめいたあとで後味の悪さを感じていた。だから父のいうことはよくわかった。
 「申し訳ございませんでした」
 といって、光茂は鉄砲隊長に、
 「斎藤用之助に鉄砲の訓練は不要だ」
 と告げた。ところがこの話をきいた斉藤用之助のほうが、今度は自分のほうからすすんで鉄砲の訓練に加わった。そして、見事に的を射抜いた。みんなびっくりした。
 「どうしたんですか?」
 ときく若い武士たちに、用之助がこう答えた。
「おれのような老いぼれでも、鉄砲の弾を見事に的に当てられるということを示したまでだ。若い者には負けないよ」
 この用之助の態度で、鉄砲隊長の面目も立ち、また光茂も救われた。こういうように、
 肝心なときには、
 「古い知識や技術をもつ層」
 が登場してきて、急ぎすぎる若い新しい改革の緩衝剤となることを示した。『葉隠』にはこういうエピソードがたくさん詰まっている。そのために、
 「辞めたくても辞めない武士」
 が、鍋島家では多く育った。そういう意味でも、『葉隠』はたんに、
 「武士道とは死ぬことと見付けたり」
という単純な忠誠心を表わす本ではない。

童門冬二著書メニューへ


トップページへ