童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          海の街道・下

■商業における道”の実現

<本文から>
  鈴木先生がおっしゃるのには、ホトケが高いところからご覧になつていれば、こんな狭い日本の国の中でも、地理地形によっては、できる品物とできない品物がある。しかし、人の話を開いて、どこどこでそういう品ができると開けば、やはりその品物をほしがるのが人情だ。
 ところが、自分のすぐ近くではそれができない。しかし、できなくてもほしい。そういう時に、できる土地からその品物を持って、できない十地の人々に届けてあげるのが商人だ。
 鈴木先生は、こういう商人の行為こそホトケの代行なのだとおっしゃつた。
 もちろん鈴木先生は、士農工商という身分制の一帯下に置かれてしまった商人を、励まし、誇りを持たせるためにそういうことをおっしゃったのだろう。
 しかし、俺はこのことばを正しいと思う。陸の道であろうと、海の道であろうと、海を通って品物を届けるのが商人の役割だ。俺は、たまたま海の街道を歩いている。海の道を通って、ほしくてもその品物ができない土地の人々のために、できる土地から品物を届けてあげる。俺は、たとえ密貿易といわれるようなことをしても、内実はホトケの代行者だと自信を持っているよ」
今にして思えば、銭屋五兵衛がいっていたことはそのまま、横井小楠の”商業における道”の実現だ。
(なるはど、そういうことか)
 大野弁吉の頭の中で何かがパチンとはじけた。新しい希望がまた湧いてきた。
 そして、今日の前にいる三岡八郎は、素晴らしい人物だと思った。同時に、油断できないと思った。
 弁舌は感じていた。
(この人が、自分の考えをどんどん伸ばし、協力者が沢山出てくると、大野藩もほやほやしてはいられない)
 確かに内山兄弟や、吉田拙蔵や西川寸四郎もひとかどの人物だ。
 山間の小さな藩に生まれ育ちながらも、海に目を向けて交易に乗り出そうなどという発想は、普通の人間だったらできないだろう。
 もちろん、藩主の土井利忠のすぐれた指導力もある。しかし、それを理解し自分の手で実行して行くというのは、すさまじいカがあるということだ。
 そのすさまじい大野藩の結束力をこえて、今日の前にいる三岡八郎は、ほとんど単身で力量を発揮している。                                        、
 特に、
「国内の人間がほしがっている品物を放ったらかしにしておいて、ただ外国人のほしがる品物だけを売って大儲けしようなどという考えは間違いだ」
 という一言は、鋭く弁舌の胸を射抜いた。弁吉は、心の中で、
(そうだ。大野藩が大野丸を完成させ、大野屋をつくつて交易に来り出す時に、その主たる事業は北前交易にすべきだと俺は勧めた。あの時は、今三岡さんがいうようなキチンとした理屈を立てたわけではなかったが、間違ってはいなかった)
 と感じた。

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