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<本文から>
こういうバラバラな改革の進みかたに、竹俣当綱や荏戸善政、木村高広らは、もどかしいものを感じ、いつも歯がみした。
「藩内には、まだ、お屋形さまのいうことがわからないやつがいる」
とか、
「一体、いつになつたら、藩士全員の気がそろうのだろう」
とかの不満のことばが、城の詰所に集まると、必ず出た。しかし、そのたびに治憲は、
「あせるな」
といった。そして、よく、
「立場を変えてみよ」
といった。
「立場を変えてみよ、とおっしゃいますと?」
率直な木村がきく。
「たとえば、私が藩士の立場に立ったとする。長年、この米沢にいて、一歩も他国の土を踏んだことがない。仕事のやりかたも、先輩や親たちが教えてくれた方法以外知らぬ。そこへ突然、見も知らぬ他家から養子に入った藩主がのりこんできて、改革を始めた……、それも、いままでの改革とはちがう。武士である藩士やその家族に、桑を枯えさせ、楢を植えさせ、漆を枯えさせる。新しい田も拓かせる。漆器もつくらせ、鯉まで飼わせる。これは一体何だろう。武士を幾、工、商の身分に落とすつもりなのか、そういう疑問は当然湧くだろう」
「ですから、お屋形さまは、そこを、民は国の宝だとおっしゃって、忍びざるの心、即ち民へのやさしさ、思いやりを説かれたはずです」
「そうだ、しかし、その考えが自分の血肉にならなければだめだ。血肉になるとは、自分で納得し、自分を変える勇気を持つことだ。新しい ″そんぴん″に生まれ変わることだ」
それはあせっても駄目だ、無理をすれば抵抗だけが強くなる、バラバラでもどかしい、改革の歩みはおそい、と思うだろうが、いまは着実に前へ進むことが大事だ。その代わり、前へ進んだら決してあとへは退かぬことだ − 治憲はそういった。そして、
「旧来の考えを正しいと信ずる者は、それなりに自分を″そんぴん″だと思っているだろう。おまえたちも自分のことを新しい ″そんぴん″だ、と思っている。改革とは、その古い ″そんぴん″と新しい″そんぴん″の戦いだ。この戦いを通じて改革は進む。短兵急に腹を立てるな」
そう説くのだつた。 |
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