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<本文から>
改革の例を幕府や諸藩に求めてくれ。成功した例、失敗した例を事例としながら、われわれはよく吟味しょう。そして、当藩にあっては、必ず実効の上がる改革案をつくろう。ただ、一つだけ頼みたいことがある。それは、改革はけっして、私やおまえたちの、つまり藩主や藩士のために行なうのではなく、藩民のために行なうのだ、ということをはっきりさせたい。
つまり藩政改革は、藩民が富むために行なうのであって、藩主や藩士が、ぜいたくをするために行なうことではけっしてない。このことをはっきり改革の礎石として据えてくれ。
それに、間引きを禁止し、病人や年寄りを労り、子どもをよく導き、また米沢の地に遺した産品を振興することに努めたい。要は、自力で財政を再建したいのだ。それには、ただ借金だけをすればよいという妨息な考えほ捨てよう。どうか頼む」
打てば響くという言葉がある。グループは、治憲の意図を正確に理解した。そして、それは同時に、彼ら自身がいままで討議し、こうしたほうがよい、と思っている改革案に一致していた。だから、治憲と彼らの間に、考え方の差はそれほどなかった。
ただ、方法論の展開については、長年のキャリアと、また米沢という土地を実際に知っている彼らのほうが、治憲よりも一歩先んじていた。それが、また、治憲の期待するところでもあった。若くて、米沢という土地を知らず、また、そこに住む人々の気持ちも知らず、産品のなんたるかも知らず、また藩士たちに会ったこともない治憲は、そういうハンディキャップが自分にあることを十二分に知っていたのである。
だから、自分の意図をよく理解し、方法論として、自分のハンディキャップを克収してくれる協力者を求めていたのだ。それが得られた。竹俣を中心にしたグループは、実際レベルでの改革案をどんどんつくった。治憲は、それを江戸で実行した。 |
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