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<本文から>
木村丈八という男がいた。硬骨漢である。学問が深かったが、学問が深いだけに、曲がったことが大嫌いだった。だから歯に衣着せずに、常に苦言を呈した。鷹山に対しても同様であった。しかし、木村は、多少他人の言うことに対して、シラケたりそっぽを向くことがあった。頭が鋭いので、他人の言うことが時に馬鹿馬鹿しく思えるのである。馬鹿馬鹿しく思えると、たちまち態度に出す。
ある時、鷹山が自分が感じたことを側近たちに話した。竹俣以下皆なるほどという顔をして聞いていたが、木村だけがそっぽを向いた。鷹山は、話を終えて、一人になると、そっと木村を呼んだ。
「さっき、お前は私の話を聞きながら、そっぽを向いた。なぜか」
木村は鷹山をまっすぐに見て臆せずに答えた。
「確かに私はそっぽを向きました。それはこういうことです。得てして、偉い人は、立派なことを言います。そして、何でも思ったことを言ってほしいとおっしゃいます。その何でも言ってほしいということの中には、自分の耳に痛いこと、つまり批判でもよいから言えというようなことがあります。私はかつて、そういうことばを真に受けました。真に受けて、藩公に直言しました。藩公は初めはコニコして聞いていらっしゃいましたが、やがて段々表情が変わり、ついには目に怒りの色が浮かびはじめました。その場はそれで済みましたが、やがて来たのは私に対する左遷の命令でした。
その時私は悟りました。偉い人が、何でも言ってみろと言うのは、実はうそだと。本当は耳に快い誉めことばばかりが欲しいのです。それなのに、何でも言ってみろということを真に受けて、耳に痛いことを言った私はバカでした。たちまち怒りに触れて左遷されるということを、私は身をもって知ったのです。
だから、今日あなたがあんな立派なことをおっしゃっても、私は信じません。どうせあなたに耳に痛いことを言えば、私を左遷してしまうでしょうから」
これを開いて席山は、すぐ言い返すことをしなかった。心の中で、
(この男の言うことは一面の真理だ。恐らく、今までの米沢藩では、そういうことがしばしばおこなわれたのであろう。そのことが木村の心を頑なにしたのだ。木村は真面目なだけに、そういうことに怒りをおぼえているのに違いない。しかし、こういう真面目な男が、本当のことを言わなくなるような藩はおしまいだ。何とかしてこの男に本当のことを言わせるようにしたいものだ)
と思うのであった。
志賀八右衛門は、どちらかと言えば柔軟な平凡な男であった。よく自分のすることを弁解した。それに、人から何かを言われても、
「それは無理だ。到底出来るものではない」
と言うのが常であった。やる前に、まず出来ないということを強調するのである。
ある時鷹山は、志賀に言った。
「なぜ、お前は、そのように常に出来ない出来ないと言うのか。また自分のことについて、弁解がましいことをくどくどと言うのか」
この間いに対して、志賀はこう答えた。
「私は、人間には誠意があるということを信じております。すなわち、真心さえあれば、多くのことを語らなくても、人は自然に分かってくれるものだと信じておりました。
しかし、米沢藩ではそうではありません。真心を持っていても、黙っていると、黙っていることを良いことにして、人々はあらぬことを言いたてます。私の過去がそうでした。私は多くを語らず身をもって、行いをもって示すことを信条としてきました。言葉は多く費やしませんでした。誠意さえあれば、自分の行動から人々はこの誠意を分かってくれると思ってきたからです。しかしそうではありませんでした。米沢本国の人々は、私が黙っていることを良いことに、私について種々噂をたてました。その多くは私の全く身に憶えのないことでした。ある日、そのことを知った私は、びっくりいたしました。私とは全く縁のない私が、一つの虚像として他人の間を歩いていたからです。私の実体はそんなものではないと痛憤しました。
そこで、噂を開くたびにその噂が広がっている場所にとんで行って、そうではない、私はそんなことはした憶えがない、またそんなことを言った憶えもない、私が本当にしたことはこうであり、私が言ったことはこうである。 |
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