童門冬二著書
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          小説徳川家康

■家康の人生観

<本文から>
 彼の人生観は、以前その片鱗を書いたように、
・人の一生は、重い荷を担いで遠い道を行くようなものだ。決して急いではならぬ。
・不自由を常と思えば、不足することはない。欲が起こったときは、困っていたときのことをだぜ。
・堪忍は無事長久のもとである。
・怒りを敵と思え。
・勝つことばかり知って、負けることをしらなければ、害がその身に及ぶぞ。
・何かあったときは、自分を責めて人を責めるな。
・及ばざるは過ぎたつに勝る。
というように、徹頭徹尾「がまんの哲学」である。彼が、
「上を見るな、下を見ろ」
といったのは、天下をとってのちのことだが、すでにこの時代から、その考え方は根づいていた。
 したがって、織田信長が今川義元を討ったと聞いても、元康はすぐに行動を起こさず、何げない表情で部下にいった。

■八幡太郎義家公の血染めの置き文の実現

<本文から>
独立した一大名となったのである。これを機会に、家康はいままでの「松平」姓を「徳川」と改めた。徳川は得川とも書く。
「どちらにする」
と迷ったが、見た目の重みから、やはり「徳川」のほうがよかろうということになった。
 こうして、徳川家康が誕生した。家康二十五歳である。上野を軸に各地に散在していた新田一族が、続々と岡崎城に集まってきて、
「若、いよいよ大望実現の機が訪れましたな」
と涙を流して喜んだ。家康は、集まった新田一族や、長年仕えてきた普代の武士たちに宣言した。
「今日よりこの徳川家康、祖先以来、代々伝えられてきた八幡太郎義家公の血染めの置き文を実現するために、渾身の力をふるう。義家公が望まれたとおり、かならず天下をとる。その宿願達成のために、さらにいちだんと力を貸してほしい」
力強い家康の言葉に、居並ぶだ者たちはいっせいに、
「おう!」
と声を上げた。

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