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<本文から>
(自分の使命は、この徳川譜代の臣を温存することではないのか?)
と思いはじめたのである。ということは、
(自分が率いる軍勢は、合戦に参加しない方がいいのではないか)
ということだ。もっと突っ込んでいえば、
「自分が到達する前に、合戦が起こって豊臣系大名の相殺現象が起こった方がよくはないか」
ということである。残酷で非情な考えだが、これは父の思惑に通ずると秀忠は信じた。
「父は、豊臣系大名が殺し合って、双方に被害が出て、敵味方とも滅び合ってしまえばいいと願っているのだろう」
と感じた。この感じは確信に変わった。
(父は必ずそう思っている)
と信ずるようになった。そうなると秀忠にとって父から命ぜられた、
「急ぎ東山道を上って、本軍に合流せよ」
ということは、豊臣系諸将に対する口実なような気がする。あるいは、味方の徳川家譜代の臣を騙す口実かもしれない。
(迂闊に父の言葉を信ずるわけにはいかない)
秀忠はそう思いはじめた。不思議な喜びが胸の中に湧いてきた。
(不肖の息子といわれたおれが、はじめて父の真意に沿う機会を得たのだ)
と思えた。が、単にただグズグズと行軍を遅らせ、本軍の合流を延引したのでは、面目が立たない、やはり総大将としての任は果たさなければならない。具体的には、
「合戦で手柄を立てる」
ということである。そう考えると、格好の標的がいた。真田父子の守る上田城である。真田父子はすでに、
「石田三成殿に味方する」
と宣言している。明らかに徳川軍に対する敵対行為を公言しているのだ。十分に攻める理由が立つ。
「よし、真田を攻めよう」
秀忠はそう決意した。秀忠にすれば、
「東山道軍が、単に本軍との合流に遅延したわけではなく、上田城を攻め落とすために時間がかかったのだ」
という理屈立てができる。同時に、みごと上田城を落とせば、
「秀忠様があの難攻不落の上田城を攻め落とした。真田父子の首も取った」
ということで、一躍武名も上がる。真田家の存在は、当時それほど名を高めていた。
「まさに一石二鳥だ」
秀忠はほくそ笑んだ。自分の思い付きが、何と素晴らしく思えたことだろうか。しかし、これを従って来た家臣たちに話す訳にはいかない。秀忠は自分の企てを、自分一人の胸の中に納めた。
今から父家康の賞賛の言葉が想像できた。
「秀忠、よくやった」
と父は褒めてくれるにちがいない。特に、
「徳川家譜代の臣をほとんど温存できたのはさすがだ。おまえはよく父の真意を見抜いた」
と言ってくれるにちがいない。この参戦はそのまま、宇都宮で分かれた兄結城秀康の最後の言葉にも適合する。秀忠の頭の中では、もやもやしていたものが一切なくなった。胸の中で何かがパチンと割れ、その中から確信という実が転がり出て来た。秀忠はしっかりとその実を握りしめた。 |
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