童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          修羅の藍 阿波藩財政改革

■田沼の阿波藩を天領にする企て

<本文から>
  「田沼さま」
 「何だ?」
 「商人に税をかけよ、というご発想、大変おもしろうございますが、伊吹は成功しますでしょうか」
 「しないな」
 田沼は意味深げに笑った。やがて、
 「おれなら、成功する」
 といった。
 「は?」
 「ただし、阿波藩を天領にすればの話だ。藍を幕府の専売にしてな」
 え、といったのか、うっといったのかわからなかったが、源内はうめいた。田沼意次の阿波の藍へのこだわりがはじめてわかったのだ。
 「それでは、蜂須賀家をおとりつぶしに?」
 「ばか」
 田沼は静かに応じた。
 「それを口にしたらすべておしまいだ。おまえらしくもない」
 ぷいと横を向いてキセルにタバコを詰めはじめた。しかし笑っている。
 源内は、そういう田濯がとてつもなく不気味な、巨大な怪物に思えた。その巨大な怪物は、ふうっとうまそうに煙を笛に吹きあげると、ぽつんといった。
 「おれが心配するのは日本のことだ。幕府のことだ。藩のひとつやふたつ、どうなろうと、さしたることはない…。要は、日本全部がゆたかになることだ。おい、源内」
 田沼は、またひっくりかえると、異国の女の人体解剖図を見ながら、こんなことをいった。
 「北の国のこともある」
 「は?」
 「エゾや、エゾの向うの国のことだ。オロシャがうかがっている。が、何よりも、おれたち日本人がエゾのことを知らなすぎる。しっかりした調査が必要だ。そして、エゾは日本国だ、ということをきちんと示さなければならない」
 (この人は!)と、平賀源内は、舌をまくばかりだ。とてもついて行けない。考えることの規模が大きく、果てしない。そして、考えの対象にすることがらが意表をついている。源内も自分で、
 「おれは天才だ」
 と思っているが、田沼にはとうていおよばない。
 いずれにしても、この日、平賀源内は、
 (田沼さまは、やがて阿波領を天領にし、藍の利益を幕府で独占する気だ)
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■阿波藩と幕府との知恵くらべ

<本文から>
 京太郎は首をふった。
 「いまでも田沼さまは、殿を愛されておいでです」
 「何をばかなことをいっているのだ。可愛いのなら、なぜ、おれが養子にきた藩をつぶすのだ?」
 「そこが田沼さまでございます。あの方は、公と私を平然とお分けになるお人柄でございます」
 「公と私を分ける?」
 「はい。私においては殿がお好きで、これはうそ、いつわりはありません。が、公において、それが邪魔だとわかれば、涙もみせずに平然と切る、そういうお人でございましょう」
 「…なるほどな。そういわれれば思いあたる。たしかにそうだ。江戸の田沼邸にかよってくる大名、旗本、町人でも、一度、胸のそばにひき寄せて、突然突きとはすようなまねを、田沼さまはよくなさった。おれもそういう現場を何度かみた。たしかに、仏のような情の厚さと、鬼のような非道さをあわせ持っているお方だ。おまえの話はよくわかったよ。が、京太郎」
 「はい」
 「どうするのだ?・いや、おれはどうすれはいいのだ?」
 「戦うほかはございませぬ。それはこちらも同じでございます。江戸で、あれだけ目をかけて下さった私人田沼さまには、われわれも何の恨みもございません。
 しかし、阿波藩をつぶして藍の利益をうばおうとする公人田沼さまには、敢然として刃向うほかはございません」
 「おまえはたのもしい家来だな。おれひとりだったら、とてもそんな勇気はない。さっさと転封の願いを出す」
 「それでございます」
 京太郎はとびつくように、重喜の語尾をとらえた。
 「私の策も、窮極は転封でございます。しかし、転対するにしても、田沼さまと戦いぬき、蜂須賀家の底力を十二分に示してから、そうすべきだと思います」
 「阿波藩を高く売りつけるわけだな?田沼さまとおまえの知恵くらべだ」
 「いや、阿波藩と幕府との知恵くらべでございます」
 「話が大きくなったな。よし、わかった。おれも腹をくくる。が、ただ念のために、佐竹のおやじ殿の意見をきいてきてくれ。おやじ殿がやれ、といったら、おれはやる。ごくろうだが、江戸へ発て」 
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■藩の基盤を支えている層と手を結べない事情

<本文から>
 「淡路の由良に港をひらくそうですねフ.築港に莫大な藩費を投入するようですが、すぐとり戻すことはできませんよ。ああいう事業は、時機というものがあるのです。行きあたりばったりの、あてずっぽうな策でおこなうことではありません」
 「ちかごろの徳島城下の風紀の悪さはどうです?色ばかり売る品の悪い酒亭、売色場同然の矢場、風呂屋、ひっきりなしにかかる芝居、相撲、一体何ですか? あなたは、阿波の民をすべて堕落させるつもりですか? いまは、まじめに働くのがばかはかしい、という空気がこの阿波中に漂っていますよ」
 「………」
  京太郎はもう答えなかった。藩士たちのいっていることは半分正しい。京太郎でさえそう思う。向う側にまわって、いっしょに新政策を非難したい衝動にかられる。
  これらの策はほとんど江戸の商人菱鼻の考えだ。京太郎はじめ稲田など重職が相当首をかしげたものもあった。が、それら一切を、藩主重喜の断でおし切った。それは、あくまでも、
 「阿波を天領にする」
  という田沼意次の密謀に対抗するためである。が、その肝心要の部分が話せない。だから話全体が不完全燃焼でいぶる。いら立つ。
 (それにしても)
  と京太郎は思う。
 (この連中にかぎり、殿のおもわくははずれたな)
  重喜が企図したのは、藩士を徴底的にいじめ、反対に民を徹底的に楽しませれば、藩士は民のぜいたくな生活をうらみ、にくんで、結果として、こんどは、
 「民いじめをはじめるにちがいない」
  ということだった。それが裏目に出た。ここにおしかけてきた連中は、重喜が考えるようなことは全然考えなかった。かれらは、
 「政策は民を堕落させている。板木をただして倫理を通せ」
  といっている。自分たちの困窮を考えないわけではないが、為政者としての自覚と責任を忘れてはいない。重喜の想像もしなかった良心的な役人たちがいたのだ。
 (むしろ、こういう層が本当の藩の基盤を支えているのだ)
 と、京太郎はしみじみと思った。普段は、よけいなことをいわず、黙々と自分の職場で地味なしごとにとりくんでいる。目立つことはすくない。しかし、いざとなれは、今日のように結束して上層部の非を乱しにくる。しかも、その乱し方には一片の私心もない。京 太郎のいちばん好きな人間たちだ。
  本来なら、京太郎はこういう層と連帯したかった。それが、足袋の小はぜのはめちがいのようなもので、どこか狂ってしまった。いちばん味方になってほしい層を、故にまわしてしまっている。この連中のいうことのほとんどに、京太郎自身が共感するだけに、この対立は心から悲しかった。
 (せめて、敦東殿だけにでも、真実を話したい)
とつくづく思った。
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■田沼の陰謀が崩れる

<本文から>
「とにかく、坂東たちが訴え出たのはまずかった」と、もう一度くりかえした。何をいっても、かれらをおさえてある以上は、あんたたちに勝ち目はないぞ、というダメ押しであった。
 この時、庭の方で刀の打ちあう音がした。足さばきの音もきこえる。ひとりではない。打ちあっているのは数人だ。
 「伊吹殿!」
 京太郎を呼ぶ声がした。京太郎は障子をあけた。庭で、坂東たち五人が、山岡泥阿弥たちと斬りあっていた。斬りあいながら、坂東は叫んだ。
 「伊吹殿! われら五人の浅慮をおゆるし下さい。ご老中への訴えは取り消します。阿波藩には何の失政もありません」
 「なに」
 と、おどろいたのは、重喜と京太郎ではなく、田沼意次と三浦のほうだった。
 田沼意次は、三浦庄次に目できいた。
 (どうしたのだ?このていたらくは)
  三浦も声を出さず、目で答えた。
 (わかりません。坂東たちは、山岡泥阿弥が厳重に監禁しておいたはずです。それをどうやって逃げ出したのか)
 (とにかく、坂東たちがこの場に現れて、訴えを取り消した以上、こっちの負けだ。相手側には、平賀源内が描えられている)
 (まったく、泥阿弥は役に立ちませんな?)
 (ああ、だめだな)
  無言の会話を交わして、田沼は目で合図した。その意味をさとって、三滞は庭に向って声を投げた。
 「退け」
 「しかし」
  と、山岡が不満そうにこっちを見た。が、
 「退け、と申しておる!」
  もう一度投げた三浦の語調は、ぞっとするはど冷たかった。その声音には、はっきり山岡泥阿弥の失敗に対する非難のひびきがあった。
 (あとで、みっちり絞ってやる)
  という宣告でもあった。泥阿弥とその部下はひるんだ。そのすきに、坂東たちはバラバラと縁の前まで走って、刀をかまえた。書院は坂東たちによって守られ、田沼意次と三浦は人質のようになってしまった。
 「こいつは、やられたな」
  三浦に、
 「障子を閉めろ」
 と、目くばせしながら、田満は笑った。敗北した泥阿弥たちの姿など、田沼は見たくもないのだった。
 「京さん」
  田満は京太郎にいった。
 「お前さんの要求をきこう。ただし、平賀源内は生かして返してくれ。あいつは、まだまだ役に立つ。おれのためでなく、日本のためにな」
  さすがに田沼だった。こうなった以上、いさぎよく自分の敗北を認め、悪びれなかった。腹をくくって、ざっくばらんな態度に変った。田沼のいいところだろう。
 「阿波国を天領になさるのは、田汚さまのご自由で
 す。蜂須賀家は退去してもよろしゅうございます」
 突然、そんなことをいい出した京太郎に、重喜がおどろいた。
 「おい、京太郎」
 京太郎は、徽笑を浮べ、目で重喜に、
 (おまかせ下さい)
 という表情をした。京太郎は、田沼意次をまっすぐに見ながら、こういった。
 「そのかわり、尾張国を所望いたします」
 「なに、尾張国だと?」
 田汚は声を出さなかったが、三浦が頓狂な声をあげた。京太郎がとんでもないことをいい出したからだ。
「尾張国には犬山二万三千石の成瀬家と、名古屋六十二万石の徳川中納言さまのおふたりしかおられぬ。おぬし、まさか、名古屋を?」
 目を丸くしてききかえす三浦に、京太郎は
 「その名古屋を頂戴したいのです」
 と、にっこりうなずいた。
「しかし、名古屋は六十二万石だ」
「そのうち、二十五万石下さい」
「なぜ、尾張なのだ?無体だぞ、いかに何でも」
 腹を立てて三浦はいった。図に乗って、のぼせたことをいうな、という色がはっきり出た。京太郎は静かにいった。
▲UP

■重喜と違い治昭の評判はよかった

<本文から>
重喜のことを、阿波の領民は、
 「大谷さん」
 と呼びはじめた。が、″大谷さん″の評判は一向に香しくなかった。生活は相変らずぜいたくであり、側妾が一挙にふえた。
 蜂須賀重善が大谷別邸にいたのは、十六年弱だといわれるが、この間、男子十六人、女子十三人の子を生んだという。使用人は約四百人。生活費は優に一万石をこえていたという。
 反対に、当主治昭の評判は至程よかった。後見がとけ、直接藩政をおこなうようになっても、かれは在来の重臣たちの意見をよくきいた。改革をまったくおこなわないわけではなかったが、無理をせず、時間をかけて説得した。
 温和で根気づよい治昭の態度は、好感をもって迎えられた。治昭は、四十六年という在任期間を持つ藩主だったが、施政の中には巧妙に、父重喜の政策を織りこんで行った。
 ○薄冗費の節約
 ○藩士の給与借りあげ
 ○新田開発
 ○商人からの借銀漸減
 ○藍の藩専売
 などは、すべて父の政策であった。
 治昭の施政で特記すべきは、学問の奨励と、国誌の編さんだ。父の重喜は、讃岐出身の学者柴野栗山を尊敬し、治昭の師に迎えていた。治暗だけでなく、重喜は栗山の教えを全藩におよぼしたかった。
 「藩枚設立」
 の夢を持っていたが、
 「運営費用が捻出できない」
 という財政上の理由と、急激なかれの改革推進で、反重喜の空気がつよく、実現できなかった。
 治昭は父の意志をつぎ、藩校寺島学問所を創設した。やがて、医師の学校もつくった。佐野山陰に「阿波志」の編さんを命じた。
 「なかなか、よくやる」
 大谷邸で、重喜は満足そうに笑った。
「そこへ行くと、おれはすこし急ぎすぎた」
 と京太郎にいった。京太郎は首をふった。
「役割がございます。信長公、空口公、家康公のように」
 「何のことだ?」
「新しい体制をつくるのには、まず旧い体制をこわすこと、それからつくること、それを落ちつかせること。大股さまは、こわす役割を負ったのです」
 「信長殿と同じだ、というのか?」
 「はい」
 「うまいことをいう。それにしても治昭はなかなかいい」
 「はい、そう思います」
▲UP

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