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<本文から>
慶応四年(一八六八)一月。鳥羽・伏見の戦いに敗れた新選組が、上方を離れて関東へ戻った時、近藤は、妻つねへの土産として銀の指輪を持ち帰った。
近藤はその死後、朝廷に歯向かった敗軍として扱われ、親類嫁者は辛酸をなめたが、つねは終生、夫を誇りにし、銀の指輪を大切にしていたという。
一方、清河八郎は、明治維新ののち、一躍功労者としてあがめられるようになり、明治一九年(一八八六)には、かつての同志によって顕彰碑が建てられた。
「慷慨国を憂い、身人手に死す。千秋万古、この人朽ちず」
生涯を政治に生き、回天の業を遂げるために奔走した清河八郎。その心のなかに抱き続けていたのは、自分の身代わりとなって死んだ妻・蓮への思いだったい |
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