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<本文から>
徳川幕府は日本の主権政府
だから家康にたいして尊敬心を持っていた徳川光圀は、家康のこの考え方を自分の考えにしていた。そんな光圀が、
「反幕思想を持って、徳川幕府をひっくり返すような歴史書」
を編纂するわけがない。学者によっては、
「光圀の大日本史の編纂意図は、徳川将軍家が正当な主権者であるということを主張しているのだ」
という人さえいる。その論によれば、
・光圀は大日本史において、南朝の正系論を唱えた。そして北朝を偽朝といった。
・しかし、この設定には深い意味がある。というのは、南朝はすでに滅びた朝廷だからだ。存在していない。それが正系だというのは、「かつては南朝が正系であって、いまは存在していない。いま存在しているのは偽の朝廷である」ということになってしまう。
・そうなると、武士が尊崇すべき正しい朝廷は、日本に存在していないということになる。
・すなわち、「日本の主権者は、徳川将軍家以外ない」ということを光圀は言いたかったのだ。
こういう解釈をすると、徳川光団は反幕どころではなく、むしろ、
「親幕論者」
になる。そして文字どおり、
「天下の副将軍として、正規の将軍がこの国で唯一の主権者であることを強調している」
という補強材になる。いってみれば大日本史は、
「反幕の歴史書ではなく、逆に徳川将軍家の正当性を補完する書」
ということになる。
このへんは、きわどい解釈だが、一理ある。というのは、光圀は副将軍としての責務を果たし、つねに綱吉の行き過ぎを諌言した。
たとえば、有名な「生類憐れみの令」の行き過ぎについても、しばしば諌めている。水戸領内で野良犬が多くなったので、これを殺して皮を綱吉のところに持ってきたこともある。こういうことが、
「光圀は、反幕思想を持っている。いずれは幕府をひっくり返す気だ。そして、天皇の忠臣として君臨するつもりなのだろう」
と拡大解釈されてしまうのだ。 |
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