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<本文から>
「黄巾敗を討滅しよう」 と言って立ち上がったのが、三国志の三大スターである曹揉、孫堅・孫権父子、劉備をはじめ、関羽、張飛、董卓、衰紹などの英雄、好雄、名将、勇将、愚将、知将、名参謀など多士済々の人物を生むキッカケになる。しかしこれらの多彩なスター、準スター、脇役、その他大勢の中でも、ほとんどが討伐側に回ったのであって、張角側に味方した者は少なかった。やはり、当時の志ある人々は、「漠王朝の正常化」が主目的であって、「それによって名を上げ、身を立てたい」という気持ちを持っていた。張角が唱えたのは、究極的には、「救国済民」という、流民や貧窮民の救済にあり、そのことが国を救うことにつながるとみたが、やはり漢王朝を滅ぼすという一点では、三国志を彩る英傑たちは賛同しかねたのである。
三国志は、張角が自ら天公将軍と唱え、弟二人に地公将軍、人公将軍という号を与えたように、「天・地・人」の三要素の展開である。すなわち天の時、地の利、人の和の争いだ。普通は、三国に分かれた後、曹操の魏に″天の時″、孫権の呉に″地の利″、そして劉備の蜀に″人の和”を比定する。三国志というの、組織と人に関するあらゆる問題を包含しているので、史記と共に、日本人にも多くの影響を与えているが、しかし三国時代というのはたかだか六十年にすぎない。そして、真っ先に滅びたのが劉備の蜀である。次に滅びたのが曹操の魏だ。そして孫権の呉もやがては滅びてしまう。が、天の時、地の利、人の和というモノサシを当てはめて考えれば、滅びた順は次のようになる。
一、人の和の蜀
二、天の時の魏
三、地の利の呉
これは何を物語るだろうか。人の世の出来事がすべてこの通りだとは言わない。しかし、普通は、「人が決め手だ」「人によって運も状況もどうにでもなる」といわれる。しかしそれがそうでなかったことを物語る。すなわち、決め手である人の和が真っ先に滅びた。そして天の時すなわち運も次に滅びた。最後まで生き残ったのは地の利、すなわち状況や条件である。そうなると、今のような世紀末社会を生き抜いていく時に、人間が一番考えなければいけないのは何か、ということを三国志はいたってクールに教えてくれる。同時に、三国志で活躍した人々の多くが、「漠王朝の正常化」に志を抱いており、張角が主張した、「救国済民」に、あまり共鳴し同調しなかったという事実は、やはり「権力」や「財力」に対し、人間の欲望や本能のおもむく先が、この二つをはっきり目標としていたことを物語っている。
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