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<本文から> 諸葛亮が劉備に語った「天下三分の計」というのは、次のような考え方である。
・まずこの国の北方は現在曹操が固め、すでに百万の軍勢を擁しております。しかも彼は、皇帝を詐都に迎え、その後見人として威を張っております。彼の出す命令は、たとえ曹操個人の考えであっても皇帝の名が使われる以上、これに背いた者は逆賊として扱われます。廿拙はまさに″天の時″を得ていると言っていいでしょう。したがって、これと対等に戦うことは容易ではありません。当面は曹株の支配している国々は、彼の思うに任せる方がよいでしょう。
・一方、江南地域は、孫権が父孫堅、兄孫策以来すでに三代を経ており、相当地盤が固まっております。劉将軍(劉備のこと)としては、孫権こそ味方にすべき存在であって、決して敵にまわしてはなりません。孫権はすなわち″地の利”を得ていると申せましょう。したがって、孫権が支配している地域に対しても手を出すべきではありません。
・そこで劉将軍の行動ですが、劉将軍には″人の和”という武器があります。これを大いに活用なさってください。
・具体的には、まずこの刑州を支配することです。この地域は東西南北に通ずる天下の要衝です。当然、そのことをよくわきまえて大いに活用すべきであるのにもかかわらず、現在の刺史劉表は、能力不足であり同時に決断力が足りないので、とうていその任ではありません。まさに刑州は、天が劉将軍に与えた土地だと申せましょう。まず、劉将軍はこの天の与えた土地をお受け取りになる気があるのかないのか、その辺りをはっきりさせる必要があります。
・もし刑州をご自分のものになさる意志がおありならば、次は溢州(四川・貴州・雲南省)をお取りになるべきです。益州は地勢が非常に険しい天険の要塞であると同時に、穀物も非常に豊かで、まさに″天の蔵″というべき土地であります。前漢の高祖は、ここで皇帝になりました。ところが、溢州の支配者劉璋はこれまた暗愚な人物で、人々は、
「だれか他に優れた支配者はいないか」
と、英雄を待望しております。そして人々の言うのは、
「劉将軍こそ、その人物ではないのか」
ということであります。この益州もまた天は、劉将軍の支配地たるべきだという意志を示しております。劉将軍はこの益州をお取りになるお気持ちがおありですか?
このように、諸葛亮は中国全土を三ブロックに分けて、曹操と孫権の部分については、現状をそのまま容認しよう、しかし劉備については、新しく刑州と益州を支配して、もう一つのゾーンをつくるべきだと主張するのである。しかし諸葛亮が、そうは言いながらも劉備に、
「劉将軍には、刑州と溢州をお取りになるお気持ちがおありになりますか?」
と念を押したのは、実を言えば劉備の方にためらいがあったからである。というのは、
・刑州の刺史劉表も、溢州の柑(州の良官)劉璋も、共に「劉」という姓で分かるように、漢皇帝の一族であり、その意味では劉備にも関わりがないわけではない。劉備もまた漢皇帝の一族だからである。
・そうなると、刑州や益川を取ることは、そのまま″国取り″ につながることであり、
「劉備は、一族の国を盗んだ」と言われかねない。
・その意味で諸葛亮の ″天下三分の計″ は非常に卓見ではあるけれど、いざ行動に移すとなると劉備には大きなためらいが出る。
ということであった。この時、劉備すでに四十七歳、諸葛亮は二十七歳であったが、二十歳も違う若者の立てた策は、さすがに劉備をうならせた。そして、
(これでようやく、長年求めてきた ″知謀の人″すなわち、俺の頭脳が得られた)
と喜んだ。
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