童門冬二著書
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          新・戦国史談

■秀吉の若き頃・主人にクビにする下克上(プロローグ)

<本文から>
 (若き頃に松下から暇を出されたときに、自分から主人をクビにした)
「クビにする権限は、主人だけにあるのではない。部下にもあるのだ」
下克上というのは「下の者が上の者に取って替わる」ということだが、単にそれだけではない、理念があった。おそらく、孟子の「放伐の論地」に基礎を置いている。孟子の放伐の論理は、かれのいうもう一つの権限委譲の方法、すなわち「禅譲の論理」に対置されるものだ。孟子の説は、次のようなものだ。
「人の上に立つ王は、徳がなければならない。徳というには仁の道の完全な実現だ、これが欠けたときは王は徳をもつ後継者に、そのポストを譲らなくてはならない。ポストを譲る方法が、話し合いで平和裡に行われるのを禅譲という。しかしこの話し合いが行われず、徳がないにもかかわらず、王がいつまでもポストにしがみつくときは、実力を行使してその王をポストから追うことができる。この実力行使を放伐という」 

■社訓は少ない方いい・三本の矢

<本文から>
企業における「社訓」あるいは「社員心得」などでもそうだが、「なになにをしてはいけない」「なになにすべきだ」という項目が多ければ多いほど、その会社は不安定だということがいえるからだ。会社が安定していればそんなものは必要ない。
だから、そこに所属している人たちが、自発的に自分を律することが多いところは、決して社員心得などはもっていない。あるいは、あっても少ない。つまり「こうすべきだ」とか「こうしてはならない」という教えが全面に出てくるとおうことは、そういう教えを示さなければならないことが現実に起こっているということの証拠なのだ。
教えというのは、あってはならないことがあるから、それを止めるためにしめされたものなのである。
毛利元就の場合も同じだった。かれは、本家を継いだ息子の弟たちが、勝手気ままに、それぞれ養家先を盛り立てるので、これは毛利家全体の秩序を乱すと判断したのだ、したがって、三本の矢の教えというには、むしろ吉川元春と小早川隆景に対して、「少し慎め。おまえたちは、少し増長している」という教えだったにちがいない。

■家康の分断管理(戦国強者の戦略)

<本文から>
各パートパートの責任者に
「なにちゃんいる?」
といって、
「これはきみだけに話しておくけど」
と、恩着せがましい態度をとりながら秘密めいた指示を与える。きみだけだといいながら、じつは全部の責任者に同じことをいう。家康の分断管理の妙である。

■藤堂高虎の二番手主義(主人には二通の案を出す)

<本文から>
大阪の陣が終わった後、二代将軍徳川秀忠は京都の二条城の改築を思い立った。設計を藤堂高虎に命じた。高虎はすでに、築城の名人としての名が高かったからだ。このとき高虎は、設計図を二通つくった。家臣が「なぜ、二通おつくりになるのですか?」
と聞いた。高虎はこう答えた。
「もし一通しかつくらずに、上さまが、このとおりでよいと仰せられたら、その功はわたしのものになる。上さまのお考えが入り込む余地がない。しかし二通つくってお出しすれば、こっちがよくてこっちが悪いというご判断が可能になる。そうすれば、上さまのご意志が反映できる。主人に仕えるとこは、善はすべて主人のものとし、悪は家臣が身に引き受けるようにしなければならない。もしも家臣が自分の功を衒って、主人の徳をおおうようなことをすれば、かならず周りの者から足を引っ張られる。悪評を立てられる。慎まなければいけない」

■雑賀衆の多彩な事業展開(乱世を動かした戦国軍団)

<本文から>
雑賀衆は単なる鉄砲集団ではない、かれらの展開した事業は次のようなものだ。
○ベースとしての農業
○海運業。これは雇い主の兵団や物資の輸送などである。
○貿易業。和歌浦の良港を擁するかれらは、遠く鹿児島の坊ノ津港を中継基地にし、対明(中国)貿易を行っていた。
○傭兵業。間接的な関わり方でなく、戦争が起きると直接戦闘に従事するために雇われる。雇われ先は、三好一族その他だが、なんといっても、一向宗の総拠点石山本願寺が多かった。
○一揆の助っ人業。本願寺の要請で北陸方面に遠征したこともある。
○一揆煽動業、近江一帯の、一向一揆の火つけには雑賀衆も加わっていたと思う。
○漁業
○製塩業
○鍛冶業。とくに鉄砲製造業。
○海賊業。
こうみてくると、雑賀衆はこのことのゲリラ集団とはまったく性格を異にする。
つまり、単に収入を目当てに技術を売るという集団ではない。多種にわたる事業集団だ、したがって、財政力が強い。財政力が強いということは「自己完結性」が強いということであり、別なことばでいえば「地域の自治力」が強いということである。
自治力が強いといえば、堺や博多の商都が思い出されるが、これらの自治力はすべて「防衛」という守りの姿勢だ。しかし雑賀衆は違う。かれらはつねに打って出る。アウトプット(出力)によってその名を高めていく。

■危機管理の条件(戦国武将の生き残り術)

<本文から>
現在は組織にせよ、個人にせよ「それぞれが危機に襲われている」といわれる。
そこでこれに向かい合い、解決するためには、次の六条件が必要だといわれる。
(1)先見力 (2)情報力 (3)判断力 (4)決断力 (5)行動力 (6)体力
つまり、危機を管理するためには、まず危機の実態を知らねばならない。そのために情報を集める。しかし、集める情報のなかには正確なものもあり、不正確なものもある。ガセネタも入ってくる。役立つ情報もあれば役立たない情報もある。
そこで集めた情報を分析し、問題点を摘出する。これが判断力だ。次に、
「この危機はどうやって克服できるか」
と、対応策や解決策の選択肢をあれこれ考える。いまのように多元化した価値社会では解決策は単一ではない。かならず複数の選択肢ができる。そこで今度は、
「どの選択肢を選べばよいか」
という意志の決定が必要になる。場合によっては判断中止あるいは見切り発車が必要になる。
そしてさらに決断したことは実行しなければならない。そこで行動力が必要になる。
しかし、これらの情報収集段階からの諸行為も、
「この先、世界はどう変わるのか。日本はどうなるのか。そのなかで自分の属する組織や自分個人はどうなるのか」
という見通しを立てることが必要だ。そこで先見力があがってくる。とくにいまは国際化社会、情報化社会といわれるから、世界の一角で立った波のしぶきが日本のどんな片隅にも飛んでくる。世界の動きと無縁では人間行動は成立しない。
それと先見力かた行動力に至る行為も、人間の頭と体による営みなのだから、やはり健康が必要だ。そこで最後に体力というのがあがっている。もうひとつ付け加えればこの六条件に「評価・判定」が必要だろう。

行動への踏き切り(戦国武将の生き残り術)
後天的な資質(つまり現在のことばを使えばそれぞれの生涯学習によって培った人間性)だけでなく、先天的な資質(生まれつきのもの)も大いにものをいう。
そしてまたこの”なら”というのは理屈ではない。情感(センチメンタル)にもとづくものだ。人間は”和”と”情”をあわせもった存在だが、”なら”は主として”情”に訴える。
「人生意気に感ず」「あ・うんの呼吸)「以心伝心」
などの理屈(知)を越えた要素が行動のモチベーション(動機付け)になる。そうなると”なら”と思わせるほうも、
「こうすればみんなが”なら”と思うだろう」
という計算はできない。
いってみれば、「決断」までは”知”の力によって分析や選択肢の選定はできるが、「行動」への踏み切りは”情念”だ。英雄たちはそれがあった。

■人は少しは純な者を雇え(戦国武将の生と死)

<本文から>
信玄はつねづねいっていた。
「人間で、百人のうち九十九人にほめられるような人間は、ろくなやつではない。人の顔色ばかりうかがっている軽薄者か、才覚者か、盗人か、ねい人か、この四つのどれかだ」

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