童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          世襲について-歴史・国家篇

■理屈なしに納得させるのが「血統」

<本文から>
  なぜかといえば、日本の働き手のなかにはいまだに「貴種尊重」の観念があり、これが「次のトップ選び」に要するエネルギーと時間を大幅に省略できる。ここで生じた時間とエネルギーの余剰分は、ほかのほうに回せるからだ。
企業規模が小さくなればなるほど
・トップの血縁者以外の者が社長にあるよりも、社内の収まりがいい(納得)
・仕方がない(諦め)などの気持ちが自然に湧く。これは無視できないし、バカにもでをない。
そして、世襲する後継者側にとっても、
・トップは近親者なので、会社にいるときだけでなく、違う時間的次元においても容易に接触できる
・そのとき、単に社内業務の知識や技術だけではなく、人間いかに生きるべきかという人生とのかかわりについても学び取ることができる
・近親者なので、忌悼のない意見交換ができる
・微妙な点は、論議ではなく情によるフィードパック(交流)が可能になる
 というようなメリットがある。「近親者以外の能力者」では得られないものを、多種多量にわたって摂取することができるのである。
 そしてこの特性こそが、現在の「IT革命の進行によって、いよいよ個人の自己完結性を強める組織内外の存在」に対する、最も有効な対応武器となる。現在のような複雑社会における組織の維持というのは、それぞれの状況において、
・古い価値観の破壊
・新しい価値社会の建設
・古い価値社会でいいものを継続させる
の三つを同時進行させる必要がある。すなわち「破壊・建設・維持」を、ミックスさせなければならない。この作業を行なうときに、それが厳しい状況であればあるほど、「上下の信頼の絆」が必要になる。それを理屈なしに納得させるのが「血統」なのだ。
 大企業にあってはいろいろと問題もあろう。しかし、中小の企業においては、この「血統」は、大きな柱の一本だ。それはいわば、「匂い」のようなものかもしれない。理屈を超えた"匂い"が、中小の企業にあってはその成員に「収まりのいい納得」を与えるのである。
 だから、成員のほうも逆に「その匂いをもつ血統を活用する」という意識をもてば、両者の息識が相乗効果を起こして、それぞれの企業の活性化を促進するはずだ。

■いつの時代も2代目が運命を左右する

<本文から>
その意味で、世襲が成り立つかどうかのカギは、二代目が握っているといってもよい。二代目がうまく三代目にバトン・タッチしてこそ、世襲もスタートを切れるわけである。
 歴史的に見ても、何代か続く家は、二代目がしっかり三代目につないでいる。徳川家康の跡を引き継いだ秀忠など、その事例はたくさんあるが、ここでは、戦国大名北条氏の例を挙げておこう。
 北条氏は相模国の小田原城を本拠にしていたので、小田原北条氏とも呼ばれ、また鎌倉時代の執権を世襲した北条氏と区別するため、のちの北条、すなわち後北条氏とも呼ばれている。室町後期の武将として「戦国三梟雄」の一人に数えられる伊勢新九郎、つまり北条早雲を初代とし、五代およそ一〇〇年にわたって関東に覇を唱えた家である。
 初代早雲がゼロから出発し、一代で伊豆・相模二か国の戦国大名となり、三代目の氏康のときに関八州のかなりの範囲を版図とした。そのため、ニ代目氏綱の存在は、やや影が薄い印象がある。
 ところが、この二代目氏綱がいたからこそ、北条氏は浮沈興亡激しい戦国時代にあって、五代にわたる世襲を勝ち取ったといえるのである。
 では、北条氏が世襲を勝ち取っていくにあたって、二代目氏綱が果たした役割というのはどのようなものだったのだろうか。端的にいえば、父であり初代である早雲と、二代目の自分のやってきたこと、やろうとしたことを三代目を継ぐ氏康にきちんと伝えたことであった。
 氏綱は、天文十年(一五四一)七月十九日に没するが、その死の少し前、氏康に長文の遺言状をしたためている。氏綱がその遺言状でいちばん言いたかったのは、氏綱が二代目として父早書から得た教訓の伝授であった。

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