童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          戦国名将一日一言

■人間五十年。

<本文から>
 織田信長が愛唱した『敦盛』の一節だ。
 《人間五十年下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり ひとたび生をうけ滅せぬもののあるべきや》
 信長は、はじめから人生五十年と決めていたようだ。このニヒリズムは、戦国時代、一部の″ばさら者″が愛していた思想だ。
 後白河法皇が撰した『梁塵秘抄』や流行した小謡のなかで「死のうは一定」などという無常感漲っていた。時代の先端を行く信長は、こういう歌や謡を愛した。同時に信長自身、死を恐れず、神仏も信じなかった。
 この敦盛の歌は、信長が桶狭間の合戦に出撃する時に歌ったことで有名だ。
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■善人には断は下せない。

<本文から>
 毛利元就は、よくこういうことを言った。
「トップが人を用いる時に、考えなければいけないことがある。それは、誰からも誉められる者を、決して重い役につけてはならないということだ。その理由は、誰からも誉められる者は、断を下せないからだ。誰からもよく思われようとすると、たとえ悪事をした人間に対しても情け深くなる。そのために、評判はよくなる。しかし、公平を求める人間からは批判される。したがって、真面目な者がしだいに仕事をしなくなる。こういうことを防ぐためには、やはり癖があっても、あるいは二部で批判があっても、そういう時に断を下せる者を用いるべきだ」
 現在のビジネス社会でも、よく″大過なくすごす″ということをモットーにしている人がいる。元就にいわせれば、
 「そんな人間は、毒にも薬にもならない。いてもいなくてもいい」
ということになる。元就がもっとも嫌ったのが″家中無事″という言葉だった。元就は、「家中無事は、やがて家の乱れるはじまりだ」と戒めていた。
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■世の中のことは、すべて六分、七分成功したらそれでよいと思わなければならない。

<本文から>
  武田信玄は、よくこういう論法で人に対した。
 「戦のことは勿論だが、万事物事というのは、すべて六、七分ほどにていいと思うべきだ。八分まで成し遂げようとすれば必ず矢数する」
 これは信玄が後のことを考えて、相続人を決めた時の言葉である。信玄の子勝頼は気ばかり焦って信玄の目から見るとまだ不十分だった。そこで信玄は、勝頼の子信勝を相続人に定めた。
 勝頼が文句を言った。
 「信勝はまだ幼く、力がありません。人間でいえば六、七分でしょう。なぜ、私を押えて私の息子を相続人になさるのですか?」
 この時に信玄は、
 「たとえ信勝の力が六、七分であろうと、後の足らずをおまえをはじめ多くの部下が補ってくれる。おまえは八分の力を持っているかも知れないが、まだ後の二分を補ってくれようとする部下が育っていない。だから、いまは信勝を私の跡継にすることが、もっともいいのだ」
 しかし信玄が死んだ後、勝頼はこの言葉を守らなかった。そのため武田家を滅ぼしてしまった。
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■迷った時は神のせいにせよ。

<本文から>
 真田幸村は、大坂の陣で名をあげた名将である。幸村の構えた真田丸という出城は、しばしば徳川軍を悩ました。智将として名高い。が、自分が智将と見られれば見られるほど慎重になった。そして、いざ合戦に出る時は必ず奥の部屋に入り、神棚に祈った。
 部下が、「なぜ、あなたほどの方がそんなことをなさるのですか?」と訊くと、
「皆、私の智恵に期待しすぎる。なんでも私が決めたといえば、私も失敗できない。だから、決めたのは私ではない。私も迷った時は神に祈る。神がこう告げたといえば、皆の納得の仕方もちがう」
 実際をいえば、幸村は神に祈る時も自分の考えは決めていた。が、「いま、この作戦を二つ考えた。神に祈ったところ、こっちにしろとお決めになった」と言えば、皆の迷いも消えて、幸村の言葉に従うだろうと考えたのだ。
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■したいことをするな。嫌なことをしろ。

<本文から>
 武田信玄は、暇があるとよく部下を集めて話をしたり聞いたりした。ある時、
 「人間というのは、身分が高かろうと低かろうと、自分の身を保って行くために大切なことがひとつある。何だと思う?」
 と訊いた。部下たちは互いに顔を見合わせて、
 「ちょっと思い当たりません。身分の高下を問わず、共通して身を保つに必要なことというのは、いったい何でございましょうか?」
 と訊いた。信玄は答えた。
「私が自分を戒めているのは、自分の好きなことはなるべくしないこと。むしろ、嫌だなと思うことをするように努めている。これがいま身を保っている理由だ」
 これは同時に、
「嫌なことから先に手をつける。嫌なことというと、どうしても先延ばしをしたり、あるいはやらないように横着を決め込む。しかし、これが自分を弱くする。自分の好きなことばかりしていたのでは人間は強くならない。また他人のためにはならない。目の前に嫌なことと好きなことが並んでいたら、嫌なことの方から手をつけるべきだ」
ということだった。
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■人間には、上中下の三種類ある。

<本文から>
 鍋島直茂は、人間を上中下の三通りに区別した。
「上というのは、他人のいい分別を学んで、自分の分別とすることである」
「中というのは、他人から意見をされて、その意見を自分の判断に変える人間である」
「下というのは、他人から良いことを言われても、ただ笑って聞き流す人間をいう」
 そしてこう整理した。
「上の人間は、他人のいいところを自分の胸から腹に飲み込んでもう一度吐き出す。中は、他人から学んだことを胸まで飲み込むがそこから下に落とさない。また、二度と出ていくことはない。下というのは、どんなに良いことを聞いても耳にさえ入らない。こういう違いがある」
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■いまの秀吉公のようなやり方をしていたら、やがて滅びる。次の天下人は徳川家康殿だろう。

<本文から>
黒田如水はある時、こんなことを語った。
「秀吉公は、自分が低い身分からなり上がったために、あまりにもニコポンとばらまきが過ぎる。あんなことでは、本当の敬愛の念は得られない。そこへいくと、徳川家康殿は、はじめから人の上に立って生きてきたので、自分の身の処し方が老巧だ。つねに自分を律して無茶なことはしない。金銀もザブザブ使わない。また口下手で非常に落ち着いておいでだから、世間からの信頼と尊敬の念を集めている。すでにいま、秀吉公の下を離れ、家康殿に通じている大名が多い。結局、ある人物を天下人にするかしないかは世論だ。世論は、完全に家康公に傾いている」
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