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<本文から>
「方策のロ−リング」
を果敢に行った。つまり、現地で反対があり、あるいは悪いと判断したことは、次々と改めていったことである。これは改革全体を柔らかい発想で行ったと言える。
そのことは、例えば郡司のポストを国造に与えたことからも窺える。これは従来の中小企業の責任者達を、そのまま新会社の役職者に登用したと言える。しかも、この役職には実利を伴わせた。というのは、従来の既得権を半ば認めたことである。既得権というのは、私有していた土地と人民の支配を認めたということだ。つまり、従来の富をある程度温存させたのだ。加えて、これに新会社の位階を与え、名刺の肩書きにさせた。これは、地方豪族の気持を大いにくすぐったことだろう。
しかし、改新政府が地方家族の既得権を半ば認めたこと、同時に新会社の肩書きを与えたということは、本来は相反する。が、この矛盾する二つのことが、二つながら実現し得たということは、それまで地方家族に支配されていた人民達のつまり社員達の気持がどういうものであったかをものがたっている。つまり、地方家族の支配下にあった人民達は、理屈は判らないながらも、なんとなく従来の支配のされ方に抵抗を覚えていたのであろう。だから、現状不満や、新しい期待(ニーズ)に応えるものが、たまたまさし伸ばされた改新政府の手の中にあったということかもしれない。
経営改革というのはいつでも同じで、単に経営者の思いつきや、あるいは、
「改革こそ正義である」
というような善悪観だけでは片がつかない。そういう底のない改革は必ず失敗する。やはり、改革される側の気分というものを、きちんと把捉していなければ成功しない。その意味では、改新政府の改革派達は、当時としてはかなり正確に諸国の人民の気持を把捉していたと言える。そういう、言わば、打てば響くような反応がなければ、経営改革はできない。改新政府がどんどんと大きく太鼓を叩けば、各地方の人民(あるいは家族の中にもいたかもしれない)が、どんどんと自分の鼓を打ち返す。つまり、大太鼓・小太鼓の共鳴があってはじめて経営改革は成功するのだ。
だから、改新政府が改革に踏み切った時には、かなりこの太鼓の音が聞こえていたとみていいだろう。だからこそ、中大兄も蘇我入鹿を殺すというような行為に出られたのである。 |
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