童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          小説 佐藤一斉

■一斉先生における一期一会

<本文から>
 ここでぼくが佐藤一斉先生に改めて学ぼうという志を立てたのは、その学説や思想よりもむしろ、
 「一斉先生における一期一会の出会い」
 に主眼をおこうと思ったからだ。八十八年の充実した生涯を送った先生にも、ご自身が書かれた、
 「人生は旅に似ている」
 といわれるごとく、険夷や晴雨に出会った.そして、旅の過程では必ず多くの人に出会う。ゆきずりの人もあれば、
 「こんなところにこういう人物がいたのか」.
 と驚嘆の目をみはり、じっくりと話し合うようなこともある。一期一会というのは仏教や茶道の言葉だが、単に、
 「人の一生でたった一度しか出会えない人、あるいはそのチャンス」
 だけをいうのではあるまい。毎日会っていても、あるいはどんなに嫌いだと思う人間にも、
 「学べるところ・語れるところ・学ばせるところ」
 の三つの状況、すなわち互いに師・友・弟子になり得る要素を持っている。日常、ぼくたちが若い人から教えられることもあるし、また年長者や上役に教えてあげることもある。
 その関係は融通無碍であって、
 「時と場合による」
のだ。ひとりの人間が師になり友になり弟子になる。相手もおなじだ。そういう関係が正しい、
 「一期一会」
 なのだろう。そこで、本書では、「一斉先生における一期一会」
 というバックグラウンドを据えながら、
「一斉先生が出合い、影響を受け、あるいは影響をあたえた存在」
 を、探求していきたい。
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■林述斎は官立の昌平坂学問所とは別に私塾をもった

<本文から>
 こういうように、「林家の学塾」を二分して考えると、筆者の長年の疑問もすこしずつ解けるような気もする。すなわち、
・官立大学となった昌平坂学問所で学ぶ者は、幕臣の子弟や各大名家の家臣の子弟などになる。それは、昌平坂学問所が公式な官立大学のためである
・しかし、林述斎の学名を慕い、同時に朱子学をさらに極めたいと思う全国の学問志向者のニーズ(需要)は高い
・そこで、林述斎は官立の昌平坂学問所とは別に、林家の私塾をそういうニーズに応えるものとして開放した
・佐藤一斉は、そのニーズに応えた教授をおこなった
・だから、佐藤一斉が二十二歳の年から、七十歳で正式に昌平坂学問所の儒貞(官立大学の総長)に任命されるまで、八代洲河岸から離れなかったのであろう
・したがって、天保十二(一八四一年に、幕府の正式な儒員に任命されるまでの一斎の身分・立場は、決して幕府の正式な学儒ではない。林家の私的な学儒だったといっていい。
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■尭舜時代のような、君がそのまま師となるような政治家の出現

<本文から>
 「一斉が陽明学に得た旨を以ても解説し、一斎の人と学術を掛る上にこの『掲示問』は最も適切な書であると考えたからである」
 といわれる。そして、
 「また一斉は『掲示問』の中で、『学、問、思、辮はこれ知の事。篤行はこれ行の事、程朱既に定論あり。ただ拘執すべからざるのみ』と言って、己れが陽明学で得たところを忌悼なく述べているのも、一斉の学のあるところを識るとともに、他には、類例を見ない学説であると感じ、筆者はあえて本編の第二に、この『掲示問』をとり上げて解説することにした。読者は、本文について一々これを詳読してほしいと筆者は念願する」
 と謙虚にすすめられている。ぼくは暇さえあれば山崎先生の『佐藤一斎』を何度も繰り返し読み、朱線を引いたりあるいはブルーの線を引いたりしている。本自体が線でいっぱいになるくらい読みぬいたつもりでいた。当然、この『白鹿洞書院掲示間』について、山崎先生がしきりにすすめておられることを承知していた。にもかかわらず、いままでのような目からウロコが落ちるような読み方をしなかったのは、どこか心が虚ろだったからだろう。では、おまえは渡辺拳山へのこだわりを忘れるほど、この文章のどこに感動したのかということが次の間題だ。一言でいえば、
 「五教という教えが生まれた尭舜の時代には、君がそのまま師であり、あえて師の目標を立てる必要がなかった。夏殷周の三代に入り、漸次君位が衰えるにつれて孔孟の道が現れて来た。師弟の道は、五教の君臣と父子の面を兼ねるもので、君臣義ありの義と、父子親ありの親を兼ねるものが師弟の道であり、君の厳と父の慈とを兼ね備えるものが師道であると一斉は見ている」
 という文章だ。なぜかといえば、
 「佐藤一斉先生が求めていた究極の学問の真理というのは、このことではなかったの
 か」
 という思いが急にわき立ったからである。いままで以上に政治というものが国民的次元において認識され、すぐれた政治家の出現に対する期待が幕末ほど高まったときはなかったろう。おそらく一斉先生が求めたのは、
 「尭舜時代のような、君がそのまま師となるような政治家の出現」
 ではなかったのか。この考えを基盤におけば、他のあらゆることが雲散霧消してしまう。あるいは、小さくみえてくる。現実社会の厚い雲の層を突き破って、高い峰のごとくそびえ立つ一斉先生の学問探求の姿勢からすれば、それ以外のことに目は向かない。
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