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<本文から>
孔明は黙ってそんな劉備を見返した。軽蔑したわけではない。疲れ果てた劉備の心情がよく理解できたからである。
琢漆県のような遠くからここまで辿り着く旅程を考えれば、気が遠くなるような道のりだ。しかも一人ではない。なぜか慕い寄る人々に祭り上げられて、常にリーダーの役割を果たさなければならなかった。
しかし本人にガバナビリティ(統率能力)が無いから、戦っても必ず負ける。勝った例はあまり無い。しかし不思議なことに魅力があった。そのために、あちこちの実力者がかれを呼んでは、新しいポストを与えたりあるいは自分のポストを譲ったりした。
しかしせっかく貰ったポストもすぐ投げ出さなければならないようなことを劉備はした。そしてそこから逃げ出す。が、逃げ出すときに必ず同行者がいた。それは劉備を慕う関羽や張飛のような補佐者だけではない。道程で劉備に出会った連中が、劉備が逃げ出すときに必ず、
「わたしたちも連れて行ってください」
と同行を願い出るのであるく
これは孔明の知る限りでは、曹操にも孫権にもない特性だ。理屈を越えた一種の人心掌握力が劉備にはあった。学問の深い孔明は、
「これこそ、天・地・人の人だ」
と思った。孔明は易学に造詣が深い。天・地・人の三才が一人の人間に備わっていればこれに越したことはないが、そんなことは天が認めない。孔明は判断した。
「曹操には天の時があり、孫権には地の利がある。そして劉備には人の和がある」
であれば、その″人の和″を武器として、強引に天の時と地の利を得ることができるかもしれない、と思った。同時に、
(劉備殿にそれを得させるのが、おれの役割かもしれない。おれの役割は天が命じたものなのだ) と考えた。 |
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