童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          参謀は名を秘す

■黒田如水は長政にトップの決定権を教えた

<本文から>
 如水がいうのは、
 「意見具申機関に決定権を持たせている」
 ということである。如水は、死ぬ時に長政に自分が履き舌した草履と下駄の片方ずつを遺品として遺していったという。そして、ヘンなものを貰ったので考え込む長政に、
 「その草履と下駄に意味はない。意味のないものに意味を求める悪いクセを、おまえは異見会から学んでしまった。もっと決断しろ。そして決断力がにぶった時は、その草履と下駄を出して、父親が死ぬ時に何をいっていたかを考えろ」
 と遺言した。長政は如水のいうことをはじめて納得した。
 このエピソードは、いわゆる、
 「トップと参謀・軍師のあり方」
 をはっきり示している。つまり参謀には仕事に限界があって、あくまでも、
 「意見具申あるいは選択肢の提供」
までであって、
 「こうしなさい」
 と決定を迫ることは許されない。どの選択肢を選ぶかはトップの決断である。このへんが最近は少し乱れているような気がする。カン違いもあるだろう。つまり、トップ固有の権限である、
 「決定権」
が、分権という名においてバラまかれているような印象を持ちがちだ。しかしこれは誤りである。決定できるのはあくまでもトップ一人であって、参謀にはその権限はない。
参謀の役割は、
 ・情報の収集
 ・情報の分析
 ・問題点の探索
 ・問題点について考え、解決策を模索する。
 ・複数の選択肢を用意する。
 ・トップに提出する。
 ということだ。用意された選択肢の中から、
 「これに決める」
 という行為を行うのは、あくまでもトップ一人である。

■すぐれた参謀や軍師は自身の潜在化のための努力を行う

<本文から>
 ・情報の収集
 ・情報の分析
 ・それによる状況の把捉
 ・情報に含まれる問題点の摘出
 ・問題点に対する考察
 ・解決策としての複数の選択肢の設定
 ・トップヘの提言
 だ。そしてこの後に、トップの、
 「選択肢の中から、ひとつを選び取る決断」
 がやってくる。
 となると、参謀や軍師の行うべき一連の諸行動は、いってみれば、
 「決断に至るまでの、ある過程(プロセス)」
 を担当することになる。ということはとりも直さず、参謀・軍師の諸行為は、
 「トップの頭脳の一部としての活動」
 となる。したがって、頭脳がトップから離れて、独立して存在することは本来許されない。いってみれば、参謀や軍師の存在というのは、
「トップの頭脳の一部」
であり、言葉を換えれば、
「トップのある機能の一部品」
 のはずだ。そうなるとここで、
「参謀・軍師の匿名性」
が必要になってくる。いってみれば参謀や軍師というのは、
「つねに潜在すべき存在」
 であって、
「顕在すべき存在ではない」
ということである。これは参謀や軍師が自ら心掛けるべきことで、
「おれの存在はないに等しい。トップの頭脳の一部であって、トップから離れて独立に存在するわけではない」
という認識が必要である。つまりすぐれた参謀や軍師というのは、
「自身の潜在化のための努力を行う」
ということが求められる。

■信長と秀吉は高度成長経済をもたらした

<本文から>
天下人となった織田信長は、その後、
 「芸術の産業化」
 を自分の政策とした。すなわち、当時流行しはじめていた、
「茶道」
を軸として、経済政策に重きを置いた。つまり自ら茶道に関わりを持つ産品を珍重することによって、それをひとつの、
 「日本人の価値観の転換」
 に利用した。彼が茶にまつわるいろいろな芸術品を大事にしたことが、経済政策を大きく変えていった。彼の部下大名たちも、土地を欲しがらなくなった。むしろ茶碗や茶釜や茶会の開催権を欲しがるようになった。そのため、住宅、庭、服装、食事、植樹、花斉栽培、書画骨董など諸芸術の発達など、思いもしなかった文化面に諸々の現象を生じた。一連の彼のかもし出したこの状況を、
 「安土文化」
 といっている。信長の跡を継いだ秀吉も、
「桃山文化」
の実現によって、さらに絢爛蒙華たる文化状況を出現させた。
 しかしその根底では、単なる文化状況だけでなく、経済政策としても大いに経済の高度成長をもたらした。しかも、この二人の経済政策による高度成長は、内需だけであって輸出は関係ない。したがって、こういう例は現在でも役立つ。ということは、
「ニーズは単にそのへんにころがっているだけではなく、経営者の才覚によって新しく創り出すことができる」
 ということを物語るからだ。織田信長と豊臣秀吉のすぐれているところは、
「卓抜した発想による経済政策によって、日本人の価値観を土地から文化に急展開させ
た」
 ということだろう。沢彦が、
「井のロという名を岐阜にお変えになり、あなたは周の王をめざすべきです」
 といったのは、とりも直さず
「いま生きている人々のニーズを満たすような政治家におなりなさい」
 ということだ。

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