童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          三番手の男 山内一豊とその妻

■信長・秀吉と比べ夫を三流の人物だと思う千代

<本文から>
 出陣の命令が下る前に、秀吉は長浜城内の広間で自分が経験した槍の試合を例にこういう説明を続けた。そして、
 「わかったか」
 ときく。部下たちがわかりましたと応ずると、秀吉はにっこり笑い、
 「よし、ご苦労だった。では酒を振る舞ってやる」
 と酒宴に移った。この辺の秀吉の管理衝は実に巧妙だ。
 こういう秀吉のようなリーダーに出会ったのは、山内一豊にとってはまさに、
 「目から鱗が落ちるような日々」
 であった。一豊は感心のしっぱなしだった。だから、このときの詰も正確に千代に伝えた。千代は澄んだ目を曇らせることなくじつと静かに夫の話を開き続けた。一豊が話し終わって、
 「とにかく羽柴様は大したものだよ。おれはあんな人にはじめて出会った」
 といかにも幸福そうに語るのを見て優しく微笑んだ。しかしこういった。
 「でも、かりそめにも伊右衛門様は羽柴様の真似をしようなどと思ってはなりませぬ」
 「ほう、なぜだ」
 層を寄せてきくと千代は媛やかに首を振った。そして、
 「何度も申し上げるように、伊右衛門様と羽柴様とはお人柄が違います。サル真似はしないほうがようございます」
 これを聞くと一豊は顔色を変えた。そして目を尖らせ、
 「サルなどという言葉を使うな」
 と怒鳴った。千代はびっくりした。しかしすぐ気がついた。それは羽柴秀吉の面貌がサルに似ているので、信長をはじめ周囲の連中が秀吉のことを"サル"と呼んでいたからだ。律義な一豊にすれば、そういう呼び方は秀吉に対して失礼だと思っていたのだろう。だから千代に対しても怒ったのだ。千代は、
 「ごめんなさい」
 と素直に謝った。しかし千代にすれば、夫の一豊に、
 「羽柴様の真似をなさらないでください」
と、夫のよい性格の保持に警告を与えつつも、本心はやはり唸っていた。
 (羽柴様は次々と新しい人の用い方をご発明になる)
 と感心していたのである。それだけに、
 (到底、伊右衛門様には真似ができない。羽柴様とは器量の大きさが違う)
 と思っていた。はっきりいえば千代は、
 (羽柴様が一流なら、夫の伊右衛門様は三流の人物だ)
 と思っている。だから、一流を目指す主人の織田信長や羽柴秀吉のような立場には絶対に立たない。いや、立てない。能力が不足している。しかし千代はそれでいいと思っている。夫に天下人になってもらおうなどという大それた気持は全く無い。ただ、
(伊右衛門様が自分の生き方に納得して、一歩一歩とその地歩を固めていけばよいのだ)
 と思っていた。千代も子供のときから苦労しているから高望みはしない。なかにはそういう貧しく辛い暮らしから脱するために、一挙に高望みをして、空に向かって自分を押し上げていく人間がいる。今の戦国はそういう人物が多い。しかし千代は違った。琵琶湖畔の家に育って、そこそこの暮らしをしてきた。今の貧しさは自ら買って出たようなところがある。つまり生家の親が、
「痩せ我慢をしないで、いつでも足りない物があったら言いなさい」
 と言ってぐれるが、千代は首を横に振る。そして、
「夫の収入で頑張ります」
 と微笑む。父と母は顔を見合わせ、
「全く芯の強い娘だ」
 と目で語り合う。しかし千代はそれでよかった。

■ねねは男女共生者のルーツ

<本文から>
 ねねはいうところの、
 「内助の功」
 を主とする女性ではない。ねねは今でいえば、
 「男女共生者」
 のルーツといっていい。妙な例だが、江戸時代に入ってから日本の女性の名はほとんど無視された。たとえば古いお寺の檀家記録を見ても、親族一覧の表にはただ「女」としか書かれていない。名がなかったわけではなく、江戸時代は典型的な男性社会だったから、名があっても女性は死んでも記録されなかったのだ。不倫を働いても問題にされ、罰されるのは女性だけだ。男のほうは好き勝手なことをする。これはすべて「儒教」の拡大解釈からきた男本位の社会の悪しき慣習だ。ところが戦国時代は違う。ねねにしても、一豊の妻千代にしても、あるいは羽柴秀吉の盟友である前田利家の妻まつにしても、みんなきちんと名前を持っている。そしてこれらの女性はほとんどが、
 「妻は単に夫に従っていればよいというわけではない。堂々と自主性を発揮して自分なりの生き方を展開すべきだ」
 という気概を持っていた。ねねはその先頭に立っていた。つまりねねにすれば、
 「秀吉殿が新しく長浜域主になったけれど、城主の責任は城内の運営だけではない。城下町の経営も大切なのだ。それには女性の感覚がものをいう」
 と考えていた。

一豊は他人が手柄を立てたり高い地位に就いたりすることを喜ぶ

<本文から>
 「伊右衛門様は天下人はおろか、一城の主、一国の主にもなりえないお方だ。わたしはそれでいいと思っている。しかし考えてみれば、わたしのほうも伊右衛門様を城の主や国の主に押し上げるカがないのかもしれない。ねね様はさすがだ」
 としみじみ感じた。千代が城を去るときにねねがそっと近寄ってきて囁いた。
 「近くまた、千代様のお知恵を借りることがありますよ」
 「え、何でしょう?」
 そうきく千代にねねは悪戯っぽい目をして笑った。
 「それは後日のお楽しみ。今証しを探しているところですから」
 意味ありげに笑った。千代には何の詰かわからなかった。ねねはさらに、
 「この話は後のお楽しみ。そうだ、今度は前田まつ様もこの城にお呼びしますから、そのときはぜひまつ様に会ってくださいね」
 そういった。名を聞いて千代は、ああ、あのまつ様かとすぐわかった。前田まつというのは、秀吉の先輩だが今は完全な親友になっている前田利家の妻のことだ。一豊の話では、
 「今度の合戦では前田利家殿は鉄砲隊の指揮をお執りになる」
  といっていた。
 「鉄砲隊?」
 千代は聞き返した。一豊は大きく領いた。目を輝かせ、
 「大殿が南蛮から新しくお買いになった鉄砲を、美濃や堺で大量にお作らせになった。今度の合戦では足軽にお撃たせになる。前田様はその指揮をお執りになるのだ。戦いの方法が新しく変わるよ」
 一豊は誇らしげにそういった。まるで自分がその鉄砲隊長になるような口ぶりだ。しかし、千代は一豊のこういう性格が好きだ。他人が手柄を立てたり、高い地位に就いたり、あるいは新しい仕事に生命の燃焼感を感じるのをわがことのように喜ぶ。決して、
 「畜生、おれがなりたかった」
 なぜとはいわない。根が純真なのだ。子供のような心を持っている。千代にはそれが好ましい。
 しかし同時にその性格が千代に、
 「伊右衛門殿は三流以上の人物にはなれない」
 と思わせるゆえんなのである。が、千代はそれでいいと思っている。つまり一豊が自分の少ない能力を出し惜しみをせずに、精一杯燃焼させて主人のために尽くしてくれれば、それがこの世に生きる武士の責務だと思っているからだ。

■一豊は人との繋がりを深める能力

<本文から>
 「問題をややこしくするな。もっと直線的に考えろ」
 というに違いない。複雑な思考回路を自分の頭の中に設定するのは、最も一豊が苦手なことだ。だから千代は無理強いはしない。
 (そういうややこしいことは、わたくしがお引き受けすればよい)
 と思っていた。しかし夫から聞いた秀吉の江北(近江北方)人の大量採用は、やはり千代を緊張させた。それは率直にいって、
 「夫に油断のできない競争相手がたくさんできた」
 ということである。しかも、それぞれの人物がそれぞれ特技を持っている。今の言葉を使えば″人間のC・T″をきちんと備えているのだ。が、それに比べて実の一豊はどうだろう。千代はきいた。
 「伊右衛門様」
 「何だ」
 「新しく殿がご採用になった方々には、それぞれ特技がございますね」
 「ああ」
 「あなたには?」
 「おれの特技?」
 「はい」
 「何にもない」
 一豊はあっけらかんといった。千代は笑いだした。一豊も笑った。千代はたしなめた。
 「伊右衛門様、笑いごとではありませぬぞ」
「だっておまえが笑うからだ。おれもおかしくなった」
「自分に何の能力もないことがおかしいのでございますか」
「ああ、われながらおかしい。何でおれはこうも能無しなのだろうか、と思うと自分が嫌になる」
「ご自分が嫌になったのなら、笑ってなどいられないはずでございますよ」
「それもそうだな」
一豊は子犬のような日になって千代にどうしようというような表情をした。千代はおかしくなった。そして、
(この人はまったく憎めない)
 と思った。それだけにさらに、
(わたしがしっかりしなければ駄目だ)
と気持を強めた。千代はいった。
「伊右衛門様は他人に誇れるような能力がおありにならないとしたら、お人との繋がりを深めることが大切だと思います」
「人との繋がりを深めるとは?」
「よいご先輩、あるいは尊敬できる方をお探しになって、そのお方と固い心の絆を結ぶことでございます」
「なるほど」
一豊はよい知恵を授けられたように目を輝かせた。

■誠実に命令を実行する一豊を評価する秀吉

<本文から>
 「作数の細かいことは竹中半兵衝から伝える。そうだ、この際竹中半兵衛をおれの軍師とする。また、山内一豊を黄母衣衆に任命する」
 と急に思い立ったように告げた。座はどよめいた。それは竹中半兵衛が軍師になっても不思議ではない。事実今まで正式なポストではなくても、そのような仕事を半兵衛はずっと続けてきている。座がどよめいたのは山内一豊の黄母衣衆任命である。母衣衆というのは大将の連絡将校で、最も信頼の厚い者が任命される。エリートといっていい。したがって、頭脳明晰でテキパキと論理を組み立て現状のキャッチも素早く行い、大将からの命令を前線に告げ、同時に、
 「作戦全体の進行管理」
 を行う責務を持っていた。このポストに就けられると立身出世は間違いない。だからだれもがなりたがった。母衣というのは背中に背負った布の袋をいい、これに色がつけられていた。黒・赤・青・黄の染色によってそれぞれ、異母衣衆とか赤母衣衆とか呼ばれた。山内一豊は黄母衣を背負うことを許されたのである。これは秀吉が信長とは違った人事方針を持っている証拠で、
 「母衣衆には、機転の利く者よりもむしろ誠実におれの命令を前線に伝え、また自分の見たままを正確に報告する者がふさわしい。それには一豊が一番適任なのだ」
 と思っていた。

■合戦の悲惨さを秀長によって鎮められた

<本文から>
 「人間とは哀しいものだ」
 といった。そして、
 「人の心にはオニとホトケとが同居している。時にオニとなり、ホトケとなる。しかしオニの所業を行わなければホトケは救ってはくれぬ。辛いところだなあ、一豊よ」
 そういってチラリと一豊を見た。秀長はおそらく近くから惧悩している一豊の気持を付度していたのだろう。そういわれて一豊は思わずはつとした。秀長を見返した。秀長は温かい情を眼の底にたたええて一豊を見返した。その眼の底には、
 (おまえの苦しみはわかるが、今この戦場でそれを出すな)
 と告げていた。一豊は恥じた。しかしそういう理解者が身近なところにいてくれたことが嬉しかった。今までにない親近感と敬愛の念を秀長に持った。秀長はさらに続けた。
 「わたしはな、兄を兄とは思ってはおらぬ。主人だと思っている。だからわたしは主人の命には忠実に服する」
 「は」
 応じようがなくて一豊はただ短い言葉で答えた。秀長はその一豊の肩をボンボンと叩き、
 「励めよ」
 と告げた。一豊は自分の肩に触れた秀長の手の先から、秀長の温情がどっと流れ込むのを感じた。
 その夜、本当なら一豊は長浜の千代に手紙を書きたかった。
 「もうこんな合戦は嫌だ−」
 と喚き、
 「毎日が阿鼻叫喚の地獄だ!」
 と続けたい。そして、
 「こんな戦場から抜け出て、一日も早くおまえのところに戻りたい」
 とい書きたい。しかしそんなことはできない。爆発寸前にあった一豊のそういう感情を静かになだめたのは、突然接近してきた秀長の一言である。また肩の一叩きであった。あの秀長の言葉と肩に触れたかれの手によって、一豊の激情はかなり鎮められた。一豊は心の中で千代に手紙を書いた。
 「辛いことが多い。でも、おれにはおまえがいる。いつもおまえのことを考えている。そうなると、おれの心は鎮まる。おまえはおれにとっての天女だ」
 そう書いた後に、付け加えた。
 「今日、秀長様がおれに優しい言葉をかけてくださり、肩を叩いてくださった。秀長様の言葉と肩のひと叩きで、おれは本当に救われた。実をいえば、戦場から逃げ出したかった。しかしそれを止めてくださったのは秀長様だ。秀長様は秀吉様を兄とは思ってはおらぬと仰せられた。主人だとおっしゃるのだ。主人の命令には、どんなことでも従うとおっしゃった。人間の心にはオニとホトケが同居しているので、時にオニとなりホケトとなる。オニとなった自分を救ってくれるのが、同居しているホトケなのだとも言われた。おれは今この言葉を噛みしめている。秀長様はすばらしい。あの人が同じ戦場にいるだけで、どれだけ救われるかわからない。

■一豊は自分の分をわきまえて仕事に全力を尽くす三番手の男

<本文から>
 「前田殿は、再び中央へ戻るだろうか」
 ときいた。千代は首を横に振ってこういった。
「前田様は立派な武将ではありますが、やはり欠けているところがあるのでございましょう」
 「欠けているところとは?」
「遮二無二他人を押しのけて、前へ出ていく気迫でございますよ」
 そういって千代はクスリと笑った。
 「何がおかしい?」
 一豊が聞き返すと千代はこう応じた。
 「あなたも同じですよ」
 「なに」
 一豊は思わず日を剥いた。しかし考えてみて、千代のいうことは正しいと思った。一豊自身が、
「おれがおれが」
 としゃしゃり出て、前にいる人を突き飛ばし、脇にいるものを肘で追い払うようなことは絶対にしない。一豊の生き方は、「自分の分をわきまえて、そのとき与えられた仕事に全力を尽くす」というものである。いってみれば、
「自分のやったことを自分で過大に評価しない」
 ということだ。
 「評価は使う側が決めることだ」
 と割り切っている。千代はそんな一豊をいつのころからか、
 「三番手様」
 と呼んだ。
 「三番手とは何だ!」
 と月を剥く夫に千代はこう答えた。
 「言葉どおり、一番手でもなければ二番手でもないということでございますよ。でも、あなたは三番手をお歩きになるほうが長続きいたします。それにあなたらしい」
 「おまえはそれで満足なのか」
 「満足でございますよ。わたくしも三番手の妻になるように宿命づけられておりますから」
 そういって、千代は微笑んだ。
 「でも、幸福でございますよ。ねね様やまつ様に比べたらどれほど心が豊かかわかりませぬ。すべてあなたのおかげです」
 そう告げた。一豊は何もいえなくなった。

■千代は情報を絶えず提供した

<本文から>
今の時代に生きる武士には、やはり情報を集めることが大切だ。それをどう分析し判断するかも大事だ」
 という思いがあった。その意味で一豊は、
 「おれほど情報をゆたかに持っている者はいない」
 という自信がある。それは、今大坂にいる千代が例によってせっせと手紙をよこすからだ。決して、
 「あなたを愛しています」
 とか、
 「ダレダレの奥様がどうなさいました」
 というようなきまり文句は書いてこない。必ず、
 「近ごろの大坂の状況」
 を告げてくる。それによってたとえ九州にいても、一豊は中央の出来事が手に取るようにわかった。その中で必要なものは秀吉に伝える。秀吉は、
 「おう、大坂ではそんなことが起こっているのか」
 と目を細めて感嘆する。そして、
 「千代殿は筆まめでいいな。うちのねねはあまり手紙をよこさない」
 とボヤく。
 「山内一豊の女房は筆まめだ。それも必要な情報を絶えず伝える」
 ということはすでに武将たちの間でも有名だった。

■関ケ原の合戦を勝利に導いた千代の手紙

<本文から>
 したがって関ケ原の合戦も、
「徳川家康軍対石田三成軍の戦い」
 ではない。正確にいえばあくまでも、
「豊臣軍対豊臣軍の合戦」
 である。豊臣秀頼がもしどちらかの味方をすれば、そっちに軍配が上がる。つまり、秀頼を擁したほうが官軍であり、これに背く者は賊軍になるからだ。
 徳川家康とその同盟軍は下野(栃木県)小山まで進んだ。このとき家康の足を止め、上方へUターンさせるような事件が起こった。その事件というのが、山内一豊の妻千代が出した手紙であった。手紙というより上方における報告書だ。千代は夫の一豊宛てに二通の手紙を書いた。そして一通は夫宛て、もう一通は、
 「あなたの手で徳川殿に差し出してください」
 と書いてあった。いままでにも数々の合戦の陣中に、"手紙魔"である千代はしばしば手紙をよこした。しかしそれは単なる手紙ではなく必ず千代の見開きした諸情勢がこと細かに書かれていた。このときも同じだ。
 ●上方、特に大坂界隈における諸大名の動向
 ●石田三成様が兵をおあげになったこと。直ちに伏見城の攻略に移ったこと
 ●石田方では、徳川様と同行している大名たちのご家族を片端から大坂城内に拉致していること
 ●これを拒んだ細川忠興様の奥方様は、自決なされたこと。しかし奥方様は敬虔なカトリック教信徒であるので、みずから生命を断つことができず、家老の小笠原という人に長刀で胸を突かせた
 などということが細々と書かれてあった。
 一豊は目を見張った。直ちに家康の陣に行き、
 「妻がこのような手紙をよこしました。ぜひご覧ください」
 と封を切っていないもう一通の書状を差し出した。バラリと開いた家康は読んだ。次第にその眠が光りだした。しまいには手紙の前へ顔をほとんどくっつけんばかりに寄せた。読み終わった家康は大きく息をつ、いた。そして、宙を睨みやがて、
 「山内殿、かたじけない。あなたはよいご妻女をお持ちだ」
 と告げた。そして側近に、
 「直ちに軍議を開く」
 と命じた。集まった諸大名の前で家康は一豊の妻千代の手紙を披露し、
 「実に細部にわたり大坂の状況が眼に映るようだ」
 とその報告ぶりを褒めた。

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