|
<本文から> 龍馬の自由で創造的な生き方の秘訣の一つに無欲と自己否定の精神がある。
それは、別の表現をすれば、「他人の評価を期待しない」、あるいは「他人の評価など気にしない」ということである。これは、師の勝海舟が、後に「行ないはわれにあり、評価は他にあり、われ、関せず」と言ったのと同じだ。
このことは自分が気にしない、こだわらないだけでなく、他人に対してもそれを求めた。たとえば、薩長連合の話をまとめるときなど、その例だ。慶応二年(一八六六)正月、龍馬が厳重な警戒網を突破して上京してみると、薩長連合の話し合いは意外に進展していない。
「おかしいじゃないか」
と長州藩の桂小五郎を問い詰めると、
「薩摩は朝廷とも、幕府とも、諸藩ともつき合いがある。いわばフリー・ハンドだ。それに対してわが藩は朝敵の汚名を着て天下に孤立している。こちらから連合を言い出すのでは憐みを請うことになる。言い出せるものか」
と桂は答えた。
つまり桂は、面子にこだわり、見栄を張っているのである。自由人龍馬と違って、桂は藩という体制の中に組まれた官僚制の中で生きてきたため、また桂自身そういう体制が決して嫌いではないため、
〈こつちから先に言い出したら、長州藩やおれが世間からどう思われるか)
と、しきりに他人の評価を気にしている。これは相手の薩摩藩にしても同じだった。
このとき、そこにいた大久保利通は維新後に日本の近代官僚制の基礎をつくつた人である。自信と誇りに満ちた性格だから、対外折衝で自分から身を屈してことを持ち出すような真似は絶対にしない。
もう一人の同席者西郷隆盛はちょっと違う。桂が延々と、薩摩藩の近年の行動の非を説くと、黙って最後まで聞いて、ひとことポッリと、
「ごもっともです」
ともらす。が、そこまでだ。西郷もまた自分からは言い出さない。別段、策を弄するわけではなく、逆に桂の心中を察して自分からは言い出さない。 |
|