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<本文から>
なぜ、彼に限ってそういうことを成し得たのか。
「彼は昨日の彼ならず」
という言葉がある。今日の坂本龍馬は昨日の坂本龍馬ではなかった。龍馬にとっては、明日になれば今日は即昨日に変わった。つまり、籠馬は、日々新たなりの言葉どおり、自己を果てしなく変革していった。自己変革とは、脱皮に次ぐ脱皮の行為だ。龍馬は昨日の自己に何の未練ももたなかったし、捨てても惜しいとは思わなかった。この連続性のある脱皮精神が龍馬を龍馬たらしめた。現代に最も欠けている精神だ。
すなわち、龍馬は二千年前の中国の思想家が口々に唱えた、
「社会を変革する者は、まず自己の変革者でなければならない」、
という言葉を、そのまま実演したのである。
同時に坂本籠馬は、歴史の波のうねりの中に生きた。うねりの上に浮かんだ小さな波、つまり、さざ波をいっさい気にしなかった。その意味では彼の生涯は、こせこせ、ちまちました一生ではなかった。太い丸太棒のような、時世にとっての大切なモチーフを包含する、大づかみな生き方であった。この章では、そういう龍馬の、自己変革の歴史をたどってみる。 |
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