童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          坂本龍馬と歩く

■龍馬が壊したかったのは武士の存在

<本文から>
  ともかく身分制度には苦しめられていたからね。もちろん、土佐の一介の郷士でしかない俺もこの考えには賛成だ。ところがねえ、ここで一つ問題がある。というのは、俺には小楠先生も勝先生も、身分を忘れると言いながらも、まだどこかで武士にこだわっているのではないか、という気がしたことだ。俺には武士なんていう考えは全然ない。むしろ、お前さんが何度も言うように、尻の後に泥をつけたような野暮ったさの方が先にたつ男だ。というのは、お前さんはよく兵農未分離と言うが、俺ははっきり言うけどね、兵だと思ったことは一度もないよ。俺はしいて言えば農かもしれないな。俺のことをよく商人の子だとか、商人の感覚で行動していると言うがそれもちょっと違うんだな。うん、そうだな。はっきり言えは、俺の体質はやはり農の方に近いかもしれないよ。あんたに見せたあの才谷村というのが、どうも生きものとしての俺の血の中に色濃く流れているような気がするね。その意味では薩摩の西郷吉之助に似ているところがあるのかな。が、西郷は所詮農民にはなれなかったよね。結局は侍のために命を捨ててしまったものねえ。惜しかったなあ。童門さんよ」
 龍馬は、振り向いてぼくをじっと見た。
 「俺が本当に壊したかったのは"武士"という存在じゃないかな。武士というのは、諸悪の根元だよ。それは、福沢諭吉もそういうことを言っていたけれど、彼の場合ともまたちょっと違うんだ。判ってくれるかなあ、ここんところを?」

■龍馬達有為な青年を手元に置かず薩摩に預けた勝の偉さ

<本文から>
 この時の勝の打った処置は大変に現代的だ。彼は自分が手塩にかけて育てた青年達を、私有しなかったのである。日本国家のためには、有為な若者は他人の手に託しても育てて欲しいという態度を貫いた。普通だったら、ここで殉ずるとか殉じないとか、お涙頂戴のドラマが展開するのだが、勝はその点欧米風だった。そういう感傷には浸らなかった。
 「おれは、だめになった。が、西郷はまだまだこれからの人だ。そういうカを持っている。薩摩藩も持っている。そうであるなら、龍馬達有為な青年はその可能性のある実力者に預けるべきだ。おれが私すべきではない」
 勝は日本にとって有為な青年は日本の公有物と考えていた。だから西郷にひき渡すことに何のためらいも未練もなかった。西郷もそこをよく理解した。同時にもっともよく理解していたのが、やはり静馬であった。だから勝に対して無限の哀惜け念を持ちながらも、籠馬は仲間の青年達と一緒に、落ち込むことなく薩藩の厄介になろうと思ったのである。

■西郷や勝と違って龍馬は自己に忠実に生きた

<本文から>
 龍馬は、完全に自己に忠実に生きていた。つまり、西郷吉之助にせよ、勝海舟にせよ、結局は、「組織の論理」を全く無視することができない生き方をしている、と見ていた。勝海舟も西郷吉之助も、ある意味では枠からとび出せない人間である。枠の持つカを活用はしても、それを自己のカに置きかえて、自由に生きるということを望むのは無理だった。それは、生まれがそうさせてしまったのだ。育ちもそうさせた。それを壊せという方が無理だ。そこで、そういう枠のないおれは、おれなりの生き方をしようと腹をくくったのである。その意味では、この頃の龍馬は、まさに天馬空を行くの観があった。奔放に生きていた。本当にやりたいことをやっていた。しかし、そのやりたい。ことをやれる期間も、この年一年だということは、さすがの彼にも予測がつかなかった。そして、こういう龍馬の行動ぶりは、同志中岡慎太郎との間に、少しずつ亀裂を生じはじめていた。中岡慎太郎の方が、龍馬の行動に、割り切れないものを感じだしたのである。割り切れないというよりも、中岡から見れば、龍馬の商業中心の行動は、政治を主眼とする中岡には、多少汚れているように見えたかもしれない。
 しかし、龍馬にとってみれば、中岡のそういう考え方も、既に古いということになる。龍馬が目指していたのは、
 「和魂洋才(あるいは和魂洋芸)」である。つまり、日本人の精神は持ち続けるが、社会や個人の生活を向上させるための技術は、あくまでも西洋の方が進んでいるのだから、それを積極的に取り入れようということだ。が、中岡たちは、まだ、そこまでは割り切れていなかった。和魂を前面に押し出すあまり、どうしても洋才とか洋芸を一段下にみる気風があった。経済はその一段下に見られるものの最たるものであった。というのは、その頃の日本では、まだ、「士農工商」という身分が払拭されておらず、商人は一番劣位に置かれていた。そういう卑しいことをする友人龍馬の態度を、中岡慎太郎が苦々しく見つめていたとしても、ちっとも不思議ではなかったのである.
 ところが、龍馬にしてみれば、この和魂洋才は、なにも独創ではなく、師の勝海舟や、横井小楠や、あるいは佐久間象山、江川太郎佐衝門達先輩の唱える主張だった。そして、この主張こそが、新しい日本を築き、日本人を幸福にすると信じられるものだった。

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