童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          西郷隆盛

■月照との心中後に島に流される際の大久保らの友情

<本文から>
  「二人とも死んだ」
 と届け出た。そして西郷には、
 「死人が鹿児島にいては困る。年六石の米をやるから、大島に行って住め。名前も変えろ」
 と命令した。
 ″生きた幽霊″として、こうして西郷吉兵衛は、名前も、
 「菊池源吾」
 と変え、安政六年(一八五九)の一月はじめ、砂糖をはこぶ船にのせられて大島に渡った。月照の死でうちひしがれていた西郷は、この処分をやむをえないこととしてうけとめた。
 しかし、親友の大久保一蔵(利通)や有村俊斎、樺山三円、有馬新七、堀仲左衛門たちがさわぎはじめた。
 「西郷は、斉彬公の命令によってうごいた誠忠の士だ。それを罰するとはなにごとだ!西郷を釈放しろ!」
 と藩庁に抗議した。
 たまたま、天候がわるくて、西郷をのせた船が山川港につながれたままなのを見て、大久保たちは、
「西卿をとり沌どせ!」
 と、船におしかけてきた。しかし、西郷は、
 「おはんらの友情はうれしいが、いま、おいどんを鹿児島に連れむどせば、騒ぎはますます大きくなる。藩も方針を変えたようだから、しばらくは静観しよう」
 と、逆に大久保たちをなだめた。大久保たちは、
 「西郷!」
 と、拳で日の涙を拭いながらくやしがった。
 そして、
 「おれたちの力で必ずおはんを呼びもどす!必ずだぞ!」
 と叫びつづけた。

■再び島流しになる際の大久保との友情

<本文から>
 そういうと、大久保は、
 「ちょっときてくれ」
 と、西郷を近くの海辺に誘った。そして、
 「どう言いわけしようとも、久光公にはおはんをゆるす気持ちはない。とにかく馬関で待て、といった命令にそむいたことだけで猛り狂っている。しかし、おいどんも親友のおはんをこのまま罪人として島に送るわけにはいかん。西郷…」
 と、改めて西郷を見つめた。
 「ここでおいどんと刺しちがえて死のう。どうせ、おいどんむ久光公に退けられる。精忠組もおしまいだ。な、西郷、死のう」
 「・・・・・・・・・」
 西郷は、じつと大久保を見かえした。久光に近づくためには、碁まで習って久光のごきげんをとるような、知恵のかたまりのような大久保が、いま、その知恵の一切をふり捨てて、いっしょに死のう、といっている。
 (こいつは、ほんとうに親友なのだ…)
 西郷の頭の中には、幼かったころの大久保正助のおもかげがよみがえった。瞼が熱くなってくる思いであった。
「大久保…」
 西郷はいった。
「おはんの気持ちは涙が出るほどありがたい。しかし、久光公の怒りはおいどんひとりでうけよう。久光公はおいどんがきらいなのだ。そのまきぞえを食っておはんまで死んでは、われわれの事業がとだえてしまう。大久保、おいどんは船にのるよ」
 「西郷・・・」
「いいんだ、もうなにもいうな」
 こうして、文久二年(一八六二)四月十日、大島からもどってたった二カ月で、西郷は再び島に送られてしまった。大島のときには、まがりなりにも、
 「大島に住むことを命ずる」
 という扱いであったが、こんどは完全に、
「流罪人」
 であった。行く先は徳之島であった。

■勝の共和政治論に魅了される

<本文から>
 「そうです。共和というのは、ひとりの人間が政治をおこなうのではなく、大勢の人間が集まって知恵を出しあい、共同で政治をとる、ということです。私は、まず、その共和を英明な何人かの大名でやったらどうか、と思うのです」
 (ああ、そうか!)
 西郷の胸の中で、突然パチンと音を立ててなにかが割れた。
 英明な大名が何人か集まって日本の政治をよくしよう、という考えは、死んだ斉彬様がいつも口にしていたことではなかったか。そうだ、いま、勝がいっていることは、斉彬様の理想であり、生きているあいだに実現したかったことなのだ。
 「……」
 西郷は感動した。そして、勝海舟という目の前のこの小男に、いい知れない親しみの情を感じた。勝は、
 「そのためにも、もはや長州を攻めるなどということはくだらないのです。そんなことをしているひまがあるのなら、幕府を倒しなさい。薩摩ならできるでしょう」
 「幕府を倒す!?・・・」
 こんどこそ西郷は仰天した。幕府の軍艦奉行でありながら、幕府を倒せとはなにごとか!
 (この男は、相当に変わっている・・・)
 西郷は呆れた。しかし、「共和政治」にはひどく関心を持った。西郷はさっそく大久保一蔵に手紙を書いた。
「勝というすばらしい人間に会った。彼のいう″共和政治″を、あくまでもやりとげずにはいられない」
 と、相当に興奮している。
 勝は西郷と会ってまもなく、江戸に呼びもどされ、軍艦奉行はクビになってしまった。そして、このことから、
 「勝は反幕側の謀者ではないのか」
 といわれはじめていた。西郷は、これをきいて、
 「幕府は勝の能力をうまく使えない。たしかに、もうだめかもしれない・・・・・・」
 と、少しずつ幕府を倒そうという考えを持ちはじめた。

■慶喜の大政奉還策の巻き返し、下級武士の政府をつくることを決意する

<本文から>
 「朝廷側に、政務をとれる準備がととのっていないからだ。坂本はそのことを暗示したのだとおいどんは思う。武力討幕はいい、しかし、幕府を倒しただけで、果たして新しい政体はすぐつくれるのか、と・・・・・おいどんは、坂本がそうきいているような気がする」
 「…なるほどな」
 カミソリと呼ばれるほど頭の鋭い大久保のことである。西郷のいうこととをたちまち理解した。そして、西郷がいう坂本龍馬の考えもわかった。
 「そういえば、おれたちは幕府を倒すことばかりに熱中して、幕府を倒したあとの政治をどうするかは、あまり考えていなかったな・・・・・・」
 「そうだ、思い出せば坂本が前にいっていたな。倒幕後の日本国民の心のよりどころをなににする気か。天皇か、それともキリストか、と」
 「うむ、おれも思い出した。そして、天皇ならおれがなると、あいつは笑っていたっけな」
 こもごもことばをかわしながら、西郷も大久保も、いまさらながら坂本龍馬の得体の知れなさに感嘆していた。
 「とにかく、倒幕後の政府をどういう形で、だれがどうするか、至急考えよう」
 「大名会議か」
 「いや」
 西郷は首をふった。目の底を光らせている。
大久保はその目を凝視した。そして、西郷が
 口をひらく前にいきなり興奮して叫んだ。
 「わかった!」
 「わかるか?」
 「うむ。おぬしは下級武士の政府をつくる気だな」
 「そうだ、もう大名には日本の政治はまかせられん。おれたちが出ていく番だ」
 「うむ!やろう、西郷!」
 「やろう。だから、慶喜には、ぜったいに二度と政権を渡してはならんのだ」
 「おれはすぐ工作する」

■西南戦争

<本文から>
 「もうすぐ城山です」
 西郷の一本の腕を背負い、自分の肩を貸しながら西郷を助けて歩く別府晋介がそういう。
 「うむ…」
 と応じながら、西郷は、このとき、心の中で、ひくい声で歌をうたっていた。
   虫よ 虫よ
   五ふし革の根を絶つな
   絶たば おのれも共に死なん
 例の歌である。いまになって、苛政になげき悲しむ農民たちの姿が、ありありと脳裡に浮かんでくるのであった。
(明治維新は、あの農民たちの苦しみをやわらげるために実現されるべきではなかったのか・・・)
 と、いまさらながら思うのである。
 性急な欧米化と工業化への道は、日本をまったく奇態な国に仕立ててしまった。だれがよろこび、だれが幸福になったのだろう。
 西郷は、この年(明治十年=一八七七)の二月に反乱をおこした。自分からおこしたわけではなかったが、西郷の私学校の生徒が陸海軍両省の火薬庫をおそい、反乱の火をつけてしまったのである。
 さらに、征韓論に敗れて帰郷したとき、西郷を敬愛するあまり、そろって官を辞し、鹿児島にもどっていた、国軍の士官桐野利秋や別府晋介、篠原国幹などが、西郷に、
「国政浄化に起ちあがってください」
 と追った。西郷は目をとじて沈思し、
「よか。おいどんのいのちをおはんらにあげよう」
 とうなずいた。
 この反乱に勝てるかどうかわからない。しかし、とにかく、九州を縦断北上し、大阪を落とし、東京に迫ろうという計画であった。

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