童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          男の詩集

■雪−三好達治

<本文から>
  太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ
 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ
 三好達治さんの代表的な詩だ。読んだり、暗記した詩を口ずさんでまちを歩いたりしても、この光景が頭の中にすぐ浮かんで来る。雪の重みと寒気に、豪雪地帯で育つ子供たちは次第に睡魔に襲われる。そういう厳しい辛さから逃れるために、三好さんは、
 「雪の厳しさ・辛さを忘れるように、二人の子供を眠らせてやってくれ」
と、雪に頼んでいるのではなかろうか。
 この詩を書いた短冊が、かつてあった渋谷権之助坂の「六兵衛」という寿司屋の壁に掛かっていた。三好さんは、六兵衛の常連客だった。ぼくも何度か会ったことがある。しかし、ほとんどつまみを取らないで、酒だけをグピリグビリと飲み続けていた。いつもにこにこ笑っていて、なぜか若いくせにこんな高い店に出入りするぼくを、テラリと慈愛に満ちた眼で三好さんはいつも凝視し続けた。

■星落秋風五丈原−土井晩翠

<本文から>
 土井晩翠の詩は、
 「男らしさ」
 に満ち満ちている。それは、漢文調のリズムがあるからだろう。この詩は、三国志の中でも、とくに悲劇的な亡国にみまわれた蜀の軍師であった、諸葛孔明を歌ったものだ。諸葛孔明の詩的で、知的で、勇気ある行動は、日本の武将にも多く一の影響を与えた。だから、竹中半兵衛や島左近などは、
「戦国の諸葛孔明」
 などといわれる。竹中や島の最期も、また悲劇的だったためである。しかし、日本におけるこの名参謀論は考えなおす必要がある。なぜなら、日本で名参謀・名軍師といわれた人々は、
「どこよりも真っ先に、自分の仕える家を滅ぼした」
 という実績を持っているからである。あるいは、自分自身の方が先に死んでしまった。武田信玄における山本勘助もその例だろう。竹中半兵衛も早死にした。そのために主人であった羽柴秀吉は、黒田如水をその代わりにした。如水の方が竹中よりも多くの実績をあげたことは確かである。日本人は、
「敗れし者への哀れさ」
が好きだから、それはそれで感情面においては立派に成り立つ。しかし、実績本位の見方をすれば、
「名参謀・名軍師」
といわれた人達に対する見方は、もう一皮剥いて考え直す必要がある。厳tい現在のような状況では、なおさらそうだ。といっても、
「名参謀・名軍師といわれた連中は、全部無能力者であった」
というつもりは全くない。その存在意義は認める。しかしそれは、
「日本人の情感・哀感においての存在意義であって、実績評価ではない」
というけじめはきちんとつけておく必要がある。
 この詩は、旧制中学(今の高校)中に、国語の教師から習った。国語の教師は、
「詩は、すべて暗記して、暗誦するところに意味がある」
と主張していた。だから、生徒たちにこの長文の詩も暗記を求めた。なかなか容易なことではない。しかし、ぼくは完全にこの全文を暗記して、周囲を驚かせた経験を持っている。その暗記カが幸いしたのだろう、土浦海軍航空隊に甲種飛行予科練習生として入隊した後も、通信術は得意だった。どんなにモールス符号が、次から次へと流れて来ようとも、ぼくは的確にそのすべてを受信した。記憶力だけはよかったようである。しかし記憶力には必ず、
 「心の平静さ」
が必要だ。逸る心を抑えて、別な面で、
 「一つ・二つ・三つ」
と、自制する自己鎮圧も必要なのだ。それがないと、次々と流れて来るモールス符号は受信できない。どこかで混乱し、結局は全部パアにしてしまうような結果を生む。この「星落秋風五丈原」の長文の詩は、ぼくにいわば、そういう忍耐カと記憶力を鮮明にする役割を果たしてもくれた。

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