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<本文から> 孔子の門人子貢が政治についておたずねした。孔子先生はこうおっしゃった。
「食糧を十分にし、軍備を十分にして、人民の信頼を得ることだ」。子貢はうなずいた後、こうきいた。「しかし万一己むを得ない理由で、いま教えていただいた三つのうちどれか一つを捨てなければならない時には、まずどれから捨てるべきでしょうか」。孔子先生はこう答えられた。「軍備を捨てる」。子貢はさらに、「残った二つの中から、どちらか一つを捨てるとすればどっちでしょうか」。「食料だ。昔から、人間にとって死はだれにも訪れるもので例外はない。死から免れるわけにはいかない。しかし、人民の信頼を失ったら、国家は立ち行かないし安定もしない」
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徳川家康が愛読した書物に『貞観政要』という本がある。これは唐の太宗が侍臣と交わした問答集で、「創業と守成のどっちがむずかしいか」、「諌言のききかた」などをテーマとして、何度も繰り返し繰り返し交わした問答集である。この中に船と水のことばがある。これはたとえであって、船は君主、水は人民だ。唐の太宗は、
「水はよく船を浮かべ、またよく覆す」
といった。水は人民の意思で、世論といっていいだろう。したがって、
「世論如何によっては、君主もその座を追われる」
ということだ。なぜ追われるかといえば、
「人民が治者である君主に信頼心を失ったからだ」
という。徳川家康はこのことばを、「主人と部下」に置き換えて、都合のいいような解釈をした。すなわち、
「家臣はよく主人を支えるが、時に裏切ることがある。油断がならない」
という意味に変えてしまった。家康らしい。しかし本来は、唐の太宗のいうように、
「政治家を支えるのは、あくまでも国民の信頼心だ」
という意味である。ここで孔子が国を治める三つの要件として、食糧・軍備・国民の信頼の三つをあげながらも、
「しかしその中で一番大切なのは国民の信頼心である」
という考え方は、裏を返せば、
「政治家は王道政治を行なわなければならない。すなわち、民の親のような気持ちを持って、民を慈しまなければならない」
ということだ。 |
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