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<本文から> 竜馬の生産を見ていると、優れたリーダーの素質と、また、まわりに与えた影響がはっきりと表われている。だからといって、竜馬が天性のリーダーであったかというと、そうではない。彼ははじめから優れたリーダーではなく、むしろ逆だった。彼は粗暴な熱血青年であり、のちに師になる勝海舟を開国論者だと言って殺そうとしたりしている。
そういう意味では、彼は泥のついた原石であって、はじめから磨かれた宝石ではなかった。はじめ彼と会った水戸の住谷真之介などは、「この男はいまの日本のことを何も知らず、おれの話していることも全然理解していない」とバカにしている。
坂本竜馬は、そういう冷笑に屈辱感を感じたかもしれないが、決してそのままで頭を抱えるようなことはしなかった。むしろ、そのことをバネにして、自己啓発に乗り出していった。
竜馬が、刀からピストル、ピストルから万国公法に至る過程は、そのまま彼の「自己変革・自己革新」の連続だったと言っていい。自己革新が絶え間なく続いたからこそ、彼は勇気をもって刀からピストル、ピストルから万国公法という過程を歩きえたのだ。
その意味では、竜馬は恥をかくことを恐れなかったと言っていい。これは大切だ。多くの人間が自己発見や自己変革ができないのは、恥をかいたり人からバカにされることを恐れて、小さくまとまってしまうからである。つまり、受け弱いのである。
早く言えば、守り一方の姿勢だから、ちょっとしたジャブを受けたり、突かれたりすると、たちまち過剰防衛になってしまう。現在もよく見かける人間のタイプである。特に"減点主義"の傾向が強い現代の日本では、この受け弱い人間が次々と生まれている。
まわりに影響を与えるリーダーは、まず何よりも「自分を変える」ということに努力する必要があるのだ。 |
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