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<本文から>
皇后か、
「巫女的特性」
を持っていたということは、そのまま、
「原始、女性は太陽であった」
といわれるように、日本の建国神話にもつながる。つまり、アマテラスオオミカミが神功皇后となって、日本国のために実際行動に出たといえよう。その意味では、神功皇后は、女性であると同時に、
「勇猛な軍神」
でもあった。しかし女性であるがゆえに、当然夫がいれば妊娠し子を生む。その子が天皇に育つ。その神功皇后がなぜお札になつたかといえば、二通りの推理ができる。
一つは、自由民権運動というのは、
「個人の権利」
を前面に出して主張する。しかし、政府側から見れば、
「このままだと、個人の権利主張ばかりが強くなって、日本国という国体を忘れ、国に対する義務を忘れかねない」
という危惧が湧いたのではなかろうか。そこで改めて、
「原始、女性は太陽であった」
という神話の力を借りながら、
「日本の国体にも考えを及ぼしてほしい」
ということを求めたのかも知れない。つまり、
「個人の権利を主張しても、日本国民であることを忘れるな。それには日本がどういう国だということも改めて認識してほしい」
ということだろう。
もう一つは、自由民権運動の高まりによって、日本の近代化を急ぐ政府首脳部にとっては、この運動が大きな障害になっていたことは事実だ。彼らにすれば、
「いまはまだ日本は若い。育ち盛りだ。そんなときに、熟成した先進国である欧米の民主主義的な考えを持ち込んでも、すぐには実現できない。それに、一部のインテリはともかく、多くの国民は長年の徳川幕藩体制による"依(よ)らしむべし知らしむべからず"という政治の行い方に慣れている。いきなり、
「個人の自由や権利」
などを与えても、これは猫に小判になる。だから政府首脳部は、
「国会開設と国民への参政権付与は、時期が早い」
と判断したのである。しかし、高まる世論はそれを認めない。そこで一応、
「十年後に国会を開設し、憲法も制定する」
と約束した。しかし、その十年間も自由民権論者たちはいよいよ勢いを得て、うるさくなるに違いない。国家は、
「内政に行き詰まりを生ずると、外の問題に国民の目を向けさせる」
ということをよく行う。あるいは、このときもそういう意図があったのかも知れない。すなわち神功皇后の外征という歴史的事実を持ち出して、
「同じような課題が、いまの日本にもある」
というテーマを設定したのではなかろうか。ちょうどこの頃日本政府は、清(しん。中国の当時の国名)国と、流球問題について交渉中だった。
「国会開設も大事だが、当面は清国問題にも大いに関心を持ってもらいたい」
と、いわば国民の目を国内から国外へ向けさせるために、神功皇后を日本で最初の、
「肖像紙幣」
として発行したのかも知れない。しかしその意図はあくまでも、
「日本国は、神のつくつた国である」
という意味合いが強く、この時点では決して、
「女性に参政権を持たせよう」
という考えは全く無い。 |
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