童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          国僧日蓮・下

■頼基陳状にみる相当正確な情報が身延山に集め的確な手を打つ

<本文から>
 侍所所司の平頼綱は、意外にも江馬光時が四条頼基を許してしまったので、落胆した。
「あの男は、おれの期待を裏切った」
と思った。そうなるとよけい身延山の日蓮が憎くなる。ところが最近の日蓮には迂闊なことができない。鎌倉にいたときは、自らの危険をも顧みずあの手この手と戦闘的な態度をとってきた。身延山に入ってからは絶対にそういうことをしない。
「身を守るべく、なるべく自ら危険の場に踏み込むな」
と、こと細く注意を与えている。特に今度の、
『頼基陳状』
を事前に宣伝し、
帰依者に対しても、
「『頼基陳状』の内容はこういうものである」
と世間に撒き散らした。これが相当な効果を生んだ。いってみれば、江馬光時は、この事前宣伝によって湧いた世論に負けたといっていいだろう。
「全く悪知恵の働く妨主だ」
と頼綱は思う。それだけに、迂闊なことはできない。つまり日蓮は、現在でいう、
「事前の情報公開」
を行なってしまうからだ。あるいは事後にも、
「こういう事が行なわれた」
と事実を市民に発表してしまう。それによって新しい世論が起こる。身延山にいる日蓮は徒手空拳だ。にもかかわらず、鎌倉にいたとき以上のカを発揮している。
「一体、どこにそんなカがあるのか?」
頼綱には不思議で仕方がない。日蓮の打つ手は的確だ。ということは、相当正確な情報が身延山に集まっているといっていい。それを選り分け、
「こういう間選点に対してはどう対応すべきか」
ということを日蓮は考え、弟子たちにその指示を出す。弟子たちは手足のごとく動く。それがピタリピクリと当たるから、鎌倉市中の住民たちが、こぞってその話に耳を傾ける。
(まったく危険な坊主だ)
 頼綱はしみじみとそう思う。特にかつての謀反を種に、脅しをかけていた江馬光時でさえ、今は次第に日蓮の教えに傾いていると開く。あれだけ世間を騒がせた四条頼基の処分も結局は行なえずに、許してしまっただけでなく、この頃では幕府へ出仕するときにも、選りすぐつた部下の中に加え、しかも自分の脇にピタリと従わせている。
(あの信頼ぶりは全く納得がいかない)
頼綱のような猫疑心の強い男にすれば、当然そう思う。
頼綱のもう一つの心配は、執権の北条時宗だった。日蓮が期待したように、
「頼基陳状」は、
北条時宗のところにも届いていた。時宗は丹念に読んだ。そしてかつて父の時頼の元に日蓮から出された「立正安国論」と引き比べて読んだ。時宗は、
「書かれている事は全く同質のものだ」
と感じた。つまり日蓮の主張は一貫している。しかし時宗の胸に響くものがあった。それは日蓮の主張の中には、私利私欲が全くないことである。日蓮が頭の中に置いているのは、すべて、
「日本国」
のことだ。こういう発想で、ものを語る宗教家が今までいただろうか。確かに、
「民衆の救済」
ということについては、どの宗旨も同じだ。しかし、日本という国家的規模で、自分の教えを説いた僧は一人もいない。日蓮は日本のことを心配している。それがわかると、時宗は次第にいたたまれなった。
 

■蒙古襲来は日蓮に日本を救う良い機会

<本文から>
日蓮は考え込んだ。それは、日蓮の考えによれば、
・今度こそ、蒙古軍は日本を蹂躙するであろう。
・しかし、このことは日本の国内が乱れ、悪鬼どもが跳梁しているために、善神善仏が、日本を見限って、いずれかに去ってしまわれたことによる。
・したがって、蒙古軍は善神善仏の遣わすいわば神兵であって、日本を懲らしめにやって来たのだ。
・善神善仏の怒りが強ければ、おそらく神兵となった蒙古国軍によって、日本は相当な被害を受けるであろう。
・しかしその時こそ、日蓮が立ちあがって日本国民の先頭に立ち、一心不乱に「南無妙法蓮華経」と唱題すれば、善神善仏も再び日本に戻り、この国と国民は救われる。
・日蓮は、滅びんとする日本国を救う国僧である。
と考えていた。いってみれば、この国が被る危難を逆用して、
「法華経の正しさ」
を一挙に打ち出そうとしたのだ。
「そうすれば、あの頑迷な平頼綱をはじめ、その背後にいる執権北条時宗も心を入れ替えるであろう。少なくとも、自分が攻撃して来た禅・浄土・天台などの諸宗に帰依することをやめ、法華経こそこの国を守る唯一の宗教だと思うにちがいない」
と思って来た。いってみれば、蒙古襲来は日蓮にとって、
「日本国民を救う、よりよき機会」
だったのである。その予測がはずれた。また大風が吹いた。敵国は、完全に覆滅し、生き残つた者はまとまって故国へ逃げ帰って行った。
(これは、一体何を物語るのだろうか)
日蓮は考えに考えた。やがて思い当たったのは、
「善神善仏は、この日本から去ったのではない」
ということであった。
「善神善仏は、地下に逃れられたのだ」
という思いがした。そうなると再び、
「地涌の菩薩」
といわれる、上行菩薩の認識が再燃した。

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