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<本文から>
「これらの寺は、一体庶民の救済のために建てた寺なのか、それとも北条得宗家の救済を目的に建てられた寺なのか」
という疑いが生じる。同時に、
「宗教家が、権力者の庇護によって存在することは、果たして是か非か」
と考える。かれは真っ向からこういう在り方を否定した。
「宗教はあくまでも庶民のためのものだ」
と考えていたからだ。そうなると、かれが上方で、
「東国の鎌倉こそ、布教に最も適した地だ。鎌倉幕府は、そういう考えを認めるはずだ」
と思ってやって来た期待は、見事に裏切られたことになる。
「鎌倉も、結局は権力者の都でしかない」
という結論になる。そして権力者たちが、
「自己権力の増大」
を図って、血眼になって争い続けている様を見ながらも、その権力者によって保護されている大寺の高僧たちも、それに対し異議申し立ては行なわない。日蓮から見れば、
「鎌倉幕府の高官も、大寺の住職もすべて、私の論理によって行動し、庶民のためという公の論理を忘れ果てている」
と思えた。
日蓮の弟子になった僧たちは、すべて日蓮のこの、
「公の論理」
に共感し、賛同した者ばかりだ。かれらはかれらなりに真に弱者的立場にある庶民の救済に心を燃やしていた。だから、
「日蓮上人こそ、庶民を救い、同時にこの国を救う唯一の聖人だ」
と思った。日蓮に私心は全くない。他宗を誹誘するのも、
「庶民を救おうという公の論理」
を信ずるからだ。
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