童門冬二著書
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          小説二宮金次郎・下

■金治郎は自身を不動明王と見ていた

<本文から>
  この不動明王の背後にある炎の解釈は、成田山に絶った二宮金次郎にとって、一つの悟りであった。ここに来た時、金次郎は自分が山裾に近い霧の中にいると思っていた。
 しかし違う
「霧ではない。炎なのだ」
 自分の身を焼き尽くす炎なのだ、と思ったのである。
 彼はすでに不動明王の絵を、自分から切り離した存在として見ていなかった。彼は、
「俺も、不動明王だ」
 と思っていた。それはなにも絵に描かれた不動明王のように、衆生を救う存在としてではなく、自らの欲望の炎に身を焼く存在として、自分を重ねたのである0そしてこの考え方は、金次郎をひどくよろこばせた。
 金次郎は、それは自分の勇気だと思った。自分の勇気は、困難にプチ当った時に掘り起こされるのだ。だから、自分自身に潜んでいる勇気は、俺における″徳″のひとつなのだ。つまり新しい ″はたらき″を呼び起こしてくれるのである。金次郎は、
(成田山に篭もった甲斐があった)
 と思った。肝心な岸右衛門の起こした鳥居事件や、七郎治の起こした革刈り場の事件の意味は、完全につかみきれなかったが、それはそれで、
「もし、納得できなければ、桜町に戻って彼らに開けばいいのだ」
 という淡々たる気持になっていた。金次郎の目の前の霧は、どんどんはれていった。桜町の里の光景が、はっきりと見えてきた。それは、彼がもがき、苦しみ、しかしその底から、少しずつ″徳″を掘り起こしている桜町の光景であった。金次郎は、その光景を愛しむように凝視した。目の裡に写る桜町の光景は、もう、金次郎を耕しめるそれではなかった。

■大いなる抵抗

<本文から>
 二宮金次郎は、徹底して農民の立場に立って行動した人物だ。そして、彼は、徳川幕府の農民政策について、強い怒りと不満を持っていた。しかし、彼の生涯をみても、彼は徳川幕府が起こした政治事件には決して近づいていない。
 彼が生きた時代にはいくつもの大きな事件があった。日本の歴史を変えたようなことがいくつもある。しかし、そういう事件を横目に見ながら、いや、意識の上に置かないで、彼は常々として自分のおこないの中に没頭していった。彼にすれば、おそらく、
「天下の事件など、俺には関係ない。農民は、関係を持ちたくても持てない。身を粉にして、労働しなければならない。なぜ、こんな理不尽なこと、不条理なことが許されているのだ。天の意志に逆らって、徳川幕府や大名家という権力者は、なぜ農民をこれほどまで虐げるのか? 全く、農民を人間扱いしないで、まるで単なる働く生き物のように扱っている。我慢できない」
 という思いが、沸々として胸の中に湧いていたことであろう。しかし、彼はそれを逆用した。だからといって、彼はひねくれたり、あるいは、世の片隅にかがんで、プツブツと不平不満を言うような立場を取らなかった。彼は働いた。それは、
「天の意思に逆らって、幕府や大名家という権力者が、農民に村してこういう不条理を押しっけるならば、その不条理の中に、徹底的に生きる姿を示すことによって、権力者に村しその不条理の不条理たるゆえんを悟らせよう」
 と考えた。だから、彼の労働に村する姿勢は凄じかった。いわば、
「死なぬように、生きぬように」
 と、定めた、徳川幕府の始祖徳川家康の意思を、徹底的に再現することによって示した。これは、ある意味ではマゾヒズムの思想かもしれない。被害者の立場に立ったのだ。だからといって、彼はマゾヒストのように、そのことによって快感を覚えた訳ではない。激しい怒りと不満は沸々としてたぎっていた。が、
「農民が、その不条理をはね飛ばすのは、働くこと以外ないのだ」
 と考えていた。そして、
「働く上で、いろいろと知恵を出して工夫をしよう」
 という積極的な気持を持っていた。彼は、不条理に村して、ただ抵抗し、その非をならすだけでは決して不条理はなくならないと思っていた。農民に与えられた責務は働くことである。忠実にその運命を受け入れた。が、その代り、権力者にまつわりつく次元には、一切目を向けなかった。
「そんなことは、代々の知ったことではない。おまえたちがいま関わりを持っている事件は、一種の必然性があり蓋然性がある。自ら招いたことなのだ」
 という気持ちがあったのかどうか、二宮金次郎は、徹壊して自分が生きていた時に起きた政治的事件をしなかった。

■政治とは無縁の場所で過ごした

<本文から>
 二宮金次郎は、およそ政治とは無縁の場所で生涯を終始した。二宮金次郎が生きたのは、そろそろ幕末にかかる頃、国としてはいろいろな問題に直面した。が、そういう直面した人きな課題に、二宮金次郎が直接かかわったことは一度もない。むしろ、彼はそれを横目に見ながら、営々として土と向き合った。土の域だけに生き方をしぼった。他の人間だったら、村を飛び出して、そのころの国論であった、
「尊皇接夷」
 あるいは、
「開国佐幕」
 などの思想の潮流に巻き込まれたことだろう。しかし、金次郎は一度もそんなことはしなかった。彼は、黙々と土と向き合っていた。まるで、世界の情勢に振り回される日本国の内情など無緑といった態度である。
 彼には、確実に土があった。土もまた、二宮金次郎を放さなかった。そういう、手応えのある世界が、二宮金次郎の泄界であった。

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