童門冬二著書
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           小説中江藤樹 上

■君、君足らざれば、臣、臣足らずという考え方が正しい

<本文から>
 そのためには、今後の武士は、君、君足らずとも、臣、臣足れという、主人のいうことには無批判で従うような心構えを強要しています。わたしは武士ではありませんし、海賊の末ですからそういう禄の中にははまりません。しかしお城のお侍さん達は大変だと思います。つまり、これからお城で俸禄をいただいて生きていくためには、その君、君足らずとも、臣、臣足れという臣にならなければいけないからです。これについては、若さまがこれから成人なさるにつれてご自身でお考えになることです。しかし間もなく、この考えが正しいのか正しくないのか、あるいはご自身がそうなりたいのかなりたくないのか、岐路にお立ちになると思います。
 わたしは、幕府の方針には反対します。やはり、君、君足らざれば、臣、臣足らずという考え方が正しいのです。主人のいうことはどんなに我が儀でも、無理無体であっても、部下は従わなければならないなどということはむちゃくちゃです。部下の人間性を全く無視するものです。やはり、領主の政治が民を苦しめずに、逆に民を豊かにするという意味では、お城にいるお侍さん達が、君、君足らざれば、臣、臣足らずという諌言や、戒めの言葉をロにする場が用意されている必要があります。幕府の方針は、これをすべて失って、俗な言葉を使えば″聞分けのいい武士″をつくり出そうということでしょう。
 いま大洲藩加藤家の中では、この学問を学ぶ勢いが、どこの大名家よりも速度を早めていると伺いました。しかしその流れは、わたしたちから見ればやはり、君、君足らずとも、臣、臣足れという素直な臣を生むところに集中しているように思えます。
 話の勢いでこういうことを申し上げると、若さまはお気を悪くするかも知れませんが、わたしの見るところ、あなたのお祖父さまであるお奉行さまが、しきりに学問のことを口になさるのも、幕府の方針をそのまま受け止めた加藤家の方針に、無批判に従っているように思えるのです

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