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<本文から>
エゾ地や千島列島などを探検して得た結果から、近藤重蔵は、
「ロシアの侵略は、絶対に千島列島で食い止めなければならない。エゾの地がロシアに侵略されるようなことになったら、日本はそこから破れる」と高田屋嘉兵衛にも話した。この考えを幕府首脳部に建言した。受けたのが、主として老中の水野出羽守忠成であった。水野は、当時の十一代将軍徳川家斉の寵を受け、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。江戸城内を肩で風をきって歩いた。したがって、うぬぼれが強い。そのため、一与力でしかない近藤重蔵ごときが、さかしらに、
「幕府がロシアの侵略を防ぐためにこうすべきだ」などと幕政に関与するような意見を吐かれることにがまんがならなかった。はじめのうちは、重蔵の功績を嘉していた水野も、次第に重蔵と会うのがおっくうになってきた。しまいには顔を見るのもイヤになった。
重蔵にとって不幸なことは、息子の不始末によって、大溝藩お預けの処分が決まったとき、この窓口になったのが水野出羽守だったことである。預かることになった大溝藩の分部家は、水野出羽寺家に、いろいろ問いかけをした。近藤重蔵の扱いについてだ。当時交わされた問答を、再現してみると
次のようになる。
「近藤の朝夕の食事はいかがつかまつりましょうか。酒を望んだときは、与えてもよろしゅうございますか?」
「食事は、粗末でよい。酒は絶対に与えてはならない」
「タバコはいかがいたしましょうか?」
「与えてはならない」
「病気になりました節は、医師、ならびに薬はいかがいたしましょうか?」
「御藩の医師の診断に任されたい」
「万一、預り所が火事になりましたときは、すぐ立ち退かせましょうか?」
「いや、しばらく火の勢いを見てその上で判断されたい」
「髪を結うとき、ハサミを使うことにつきましては?」
「本人にハサミを持たせてはならない。また、ハサミを使う場合は、先を丸めておくこと」
「毛抜きはいかがいたしましょう」
「与えてはならない」
「筆記用の筆と紙を望みましたときは?」
「与えてはならない」
「行水、入湯を望みましたときは?」
「それは望みにまかせてよい」
「爪を切りたいと申したときは?」
「そのまま長くのばさせよ」
何ともはや冷たい答えだ。水野はそれほどまで近藤重蔵に悪感情を持っていたのである。しかし、大溝藩の分部家は水野の答えを守ったり守らなかったりした。刃物を与えることはしなかったが、しかし筆と紙はふんだんに与えた。重蔵がおしこめられた牢の中で、しきりに書き物をしたがったからである。その点、分部家は非常に理解があった。しかし、重蔵は黙っていなかった。
牢屋の近くに大きな木があった。朝、夕、そこにカラスがたくさんきて、鳴きわめいた。童蔵は、「やかましいぞ」と怒鳴った。番人たちは、自分たちのことをいわれたのかと思って、話をやめた。
ところが重蔵はあいかわらず、
「やかましいぞ!」と怒鳴り続ける。牢役人がおそるおそる「何がやかましいんですか?」ときくと重蔵は、
「カラスだ。あのカラスを何とかしろ」といった。牢役人たちは顔を見合わせたが、もともとうるさ型だということをきいていたので、カラスを長い竿で追い払った。カラスはすぐ戻ってくる。また追い払う。カラス退治に牢役人たちは大わらわになった。
初夏がきて、近所の水田でカエルが鳴きはじめた。すると重蔵は、今度は、
「カエルがうるさい。何とかしろ」と怒鳴った。牢役人たちは、今度はカエル退治に大わらわになった。
しかし、牢役人たちは重蔵に接しているうちに、次第にかれが好きになった。というのは、重蔵はお預けになったことを決してぼやいたり、不平をいったりしないからだ。そんなことはみじんもいわない。かれはいつも相手がわかろうとわかるまいとこういい続けた。
「おれは、二十八、九歳のころから、北方の島々へ危険をおかして何度も渡った。そして、現地に住んでいた人間を日本の生活様式に変えることに努めた。みんな喜んでおれの言葉に従った。ところが、幕府の役人が腰抜けだから、すぐこれが引っくり返ってしまう。というのは、凍らない港を求めるロアが、すきを見てはこれらの島々を侵すからだ。そして、住民を自分たちに従わせる。思いきった策を講じなければ、千島列島だけでなく、エゾの国まで、ロシアに侵略されてしまう。何とかしなければいけないのだ」
熱弁をふるう重蔵の態度に、牢役人たちは心服した。(この人は、本気で北辺のことを心配している。幕府の人たちはどうして近藤さまのいうことを受け入れないのだろうか?)と思った。牢役人たちは近藤重蔵にいろいろと教えを請うようになった。とくに北辺問題について熱心だった。重蔵も喜んだ。格子を隔てて、しきりに講義をした。このことが藩上層部に伝わった。藩上層部も、北辺問題については無縁ではいられないという良識を持っていたので、重蔵は時折牢から出されて、非公式に藩士たちに講義を行うようになった。しかし、かれのわがままな癖は直らず、あいかわらず、カラスが鳴くと、
「うるさい。カラスを何とかしろ」とか、
「カエルを鳴かせるな」と要求した。しかし、気心がわかってしまえば、そういう無理難題も一種の愛嬉になる。
「近藤先生は、悪い人じゃない」
という見方がどんどん広まっていった。逆に、
「近藤先生の志は高い。こんな牢におしこめられても、その志を曲げないところは立派だ。あの人は本当に囲を思う武士だ」という評判が高まった。 |
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