童門冬二著書
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          北の王国・上

■直江兼続は越後の農村を拠点に天下取りの構想

<本文から>
 (上杉景勝を天下人にしたい)
 などということを、それでは直江兼続は一体いつ考えたのだろう。正確にいえば京を発って越後に戻る旅の時にである。彼ははっきり思った。
(他人のやれることがおれたちにできないはずはない)と。そう思うと、かれの夢は一挙にふくれあがった。
(よし、天下を取ってやる!)
 が、かれの考えた天下取りは豊臣秀吉のような取り方ではなかった。妙心寺の書庫で眼の裡に浮かんだ越後の土と水と緑の美しさである。自然の美しさをたっぷり残した農村の姿であった。その農村をかれは天下に結びつけた。
 とてつもない考えだったが、兼続は越後国を拠点に天下を取ろう、と考えたのだ。ということは、
「越後を日本の都にする」
 ということである。
(あんなキンキラキンの宋楽第が、この国の都の中心であっていいはずがない)秀吉のつくった″人工〃の文化に、兼続は甚だしい反撥をおぼえた。越後に戻る旅の間中、緊楽第と越後の農村の姿が、脳裡で何度も激突した。そして、越後の土と水と緑が、やがて聚楽第を制圧した。兼続の脳裡から聚楽第の姿が消えた。脳裡には越後の、それも上田荘の農村の光景がどっしりと根をおろした。
(これだ!)
 兼続の頭の中を天恵のような光が走った。
(越後国を日本の郡にするのだ! そしてそのために、上杉景勝を天下人に押し立てるのだ。おれはその日をこの手でつくる!)
 そう思った。だからいま、積極的に豊臣秀吉に協力するのは″その日″を一日も早くちかづけるためである。つまり秀吉との接近は、天下への接近でもあった。京都での三か月は、直江兼続にそういう野望を育てさせた。その意味では、京はやはり″魔の都″ であった。
 兼続がそんなことを考えたのは、突然胸の中を、
(上杉謙信公には、そういう野望があったのではないか?)という思いが走ったからだ。ひらめきにも似たその考えは、にわかに真実味をおびた。そうなると、
(そうにちがいない)
 という確信に変った。旅中、馬上で兼続は何度も、
「そうでしょう?」
 と、胸の中の謙信に呼びかけた。が、どうしたのか謙信は無言だった。というより、いつもはスッと現れる謙信の像がこの時はまったく現れなかった。
(なぜですか? 私の問いが愚かだからですか?)
 兼続は呼びかけつづけた。が、以前として謙信は現れない。兼続の胸の中は空洞だった。暗い間だけがあった。
 しかし、兼続は躍る思いをおさえ切れない。
「越後を日本の都にする」という発想は、かれを有頂天にさせた。
 

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