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<本文から>
親房は膝をすすめてきいた。思いつめた表情だ。
「大切なことと思われますので、敢えて伺います。おそれながら、そうなりますと、いま、お手許に安置されております神器と、恒良親王さまにお渡しになる神器とのかかわりは、一体いかがあいなりましょうか?」
これをきくと天皇は急に、
「はははは」
と笑い出した。親房は笑わない。天皇は笑い続けた。笑みを失わずにこういった。
「親房、そなたは恒良には偽器を渡すのではないか、と疑っているのだろう?」
「さようでございます。あるいは、こちらに安置されている神器が偽器かと……」
「普通に考えればそうなる。神器が二組あるはずがない。いや、光明にも渡さねばならぬから、神器は三組あることになる」
「何と仰せられます?」
親房はびっくりした。
「それでは光明帝と和談なされても、帝も依然として神器をお持ちになると?」
「そのとおりである」
天皇は領いた。
「…!?」
親房は理解に苦しんだ。天皇の話が全くわからなかった。一体、何を仰せられているのだろう、と不審に思った。天皇は真顔になった。
「親房、たとえ偽器であろうと、正統の天子がこれを保持すれば、それは真器になる」
「は?」
「私は正統の天子だ。したがって、私の持つ神器は、全て真器である。私以外の者が持つ神器は全て偽器だ」
見返すと、すさまじい光を目から放っている。親房は気圧された。そして、胸の中で、
(そうか!)
と思い当った。
(これが帝のご真意なのだ)
と気がついた。
北畠親房は、そう考えてはいない。彼はずっと器にこだわっている。彼の考えは、
「真の神器の保持者が真の天子なのだ。そして、その保持者は必ず天照大神の子孫でなければならない」
というものだ。これは、いってみれば孟子のいう禅譲と放伐の思想と、親房がいま傾倒している伊勢神道を混合した考えである。親房の考えによれば、日本の天子の位は、必ずしも大覚寺統だけで占めなければならないということはない。つまり、血統の嫡流ということを問題にしない。親房が問題にするのは、
「その天子に果して君徳があるかないか」
だ。もし、天子に君徳がない場合は、降位も考える。そして、有徳の皇族を捜し出して皇につけることもあり得る、と考えていた。つまり、孟子の、
「王は君徳を持たなければならない。王に徳がなくなった時は、徳のある後継者に位を譲るべきだ。しかし、徳がなくなったにもかかわらず、その王があくまでも位にしがみつく時は、実力を行使してその位から去らせることができる」
という考えだ。孟子は平和裡に位の移転が行なわれることを禅譲といい、実力を行使して位の移行を行なうことを放伐といった。北畠親房の考えには、この禅諌と放伐の論が据えられていた。が、しかしだからといって、後継者を誰でもいいというふうには考えなかった。
あくまでも、
「天照大神の子孫でなければならない」
と厳しい枠をはめる。この辺が親房独特の考えだった。前々から、こういう議論を繰り返してきたので、天皇も親房の考えをよく知っていた.
(親房は大覚寺統にこだわる私の皇位継承の考えを必ずしも支持していない)
と思っている。そして、親房の考えは親房だけにとどまっているわけではなく、廷臣や武士の一部にも影響を与えた。 |
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