童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          奇兵隊燃ゆ

■吉田松陰との出会い

<本文から>
 話し終わると、吉田は、
 「見たまえ」
と、きちんと正座した自分の膝の上の拳を示した。
 「ぼくは、拳を固く握っているだろう? これは怒りだよ。日本の中にある理不尽への怒りだよ。日本には理不尽が一杯ある。ことに身分というのはその極みだ。人の下に人がいる」
 眼に憤りの炎を噴きたててそう語った。語る吉田は、はっきり膝の上で拳を握っていた。
 吉田は、なぜ突然、高須久子の話をしたのだろう?
 武人の膝の上の拳を見たからだろうか。武人の頭から養子の話などどこかに吹っとんだ。
 吉田は言った。
 「こういうふうに拳を撮るのは、こどものころからの癖だ。癇性でね。でも直そうとは思わない。何かが私にこの拳を握らせているのだ。気が弱った時、孤独になった時、私は拳とよく話し合うよ。この拳は私を勇気づけてくれる。拳は私そのものだ」
 そう語った。武人は目を見張った。もともと、初対面の人間に会うと、まず、手を見る、というのは、もう武人にとって習性をこえ、本能のようになっていた。拳を握っている人間に会うと、言いようのない懐かしさをおぼえるのだ。それだけでなく、好悪の情がそれで決まり、信否の別もそれで決まる。理屈ぬきの人間判断基準になっていた。
 しかし、吉田はちがった。そんな消極的な存在として拳を考えているのでなく、「話し合う相手」として考えていた。これは新しい発見だった。武人は、  
(吉田先生は拳を自分の一部としていとおしんでおられる。が、おれは、何か異物のようにこだわりを持って扱ってきた)と思った。
 そして、
(今日から、おれも、自分の拳を、吉田先生のように扱おう)と思った。
 それだけでも、吉田松陰のところに来た甲斐があった、と思い、
(拳ひとつの解釈にしても、吉田先生はちがう)
 と、その偉大さを改めて認識した。  
 この日、武人は吉田松除から、松下村塾のすぐそばに住む吉田栄太郎(のちの稔麿)という少年を紹介された。栄太郎は武人より三歳年下であり、このころ、松陰の門に入ったばかりだった。貧しい足軽の家に生まれたので、貧しさの苦悩をよく知っていた。
 「あなたのことは、先生からよくうかがっています」
 村塾を出て、帰路を辿る武人を送りながら、栄太郎は親しみをこめてそう語った。
 「貧乏と身分の低さには心の底からいらだちをおぼえます。金があって、身分の高い奴らが味わわなくてすむことを、これでもか、これでもか、と味わわされるからです。それも、人間の中にひそむ卑しさを、金のある奴から加えられる侮蔑によってひき出され、屈辱の泥沼でのたうちまわされるからです」
 栄太郎は語彙が豊富だった。少年なのに意味の深いことを言った。武人は庄倒された。
栄太郎は別れ際に、
「私は松下村塾の中でも、そういうことを問題にしないほかの人は嫌いです。松陰先生だけを尊敬しています。でも、あなたはちがいます。長州藩内の、人の下に置かれた人のために、ご一緒したいと思います」
 眼を輝かせてそう言った。武人は、いつものくせで、ふっと栄太郎の手を見た。栄太郎は両の手を固くまるめていた。武人は微笑んだ。そして、
 (この少年を好きになろう)
と思った。それにしても、吉田松陰は、いつ、自分のことをそこまで調べたのだろう、と武人は不思議に思った。表面的なことだけでなく、武人が胸の奥で育てている考えまで、いつ、見抜いたのだろうか、とおどろいた。予想以上に、吉田松陰は武人に関心を持っていたのだ。武人の胸に幸福感がみなぎった。
 が、せっかくの松陰の忠告をきき捨てにして、武人は結局、赤根忠右衛門の養子になり、松崎武人改め赤根武人になった。

■前田砲台での敵前逃亡の噂が維新後も引きずる

<本文から>
というのは、誰が言い出したのか、
「赤根武人は前田砲台から敵前逃亡した」
という噂が、しきりに流れていたからだ。悪い噂は、いい噂より速くひろがる。そして、奇体なことに、ともに前田砲台で戦った彼の部下も、この噂を否定しなかった。沈黙していた。武人が、
「どういうことだ? おれが最後まで戦ったことは、おまえたちが一番よく知っているではないか?」
 と、身をゆすぶるように迫っても、はかばかしい反応を示さなかった。武人は、奇兵隊総管としての彼を、萩人が真実はどう見ていたのかを、はじめて知った。はじめから敬服などしていないのだ。
 それは、一向に衰えていない戦意を充満させているにもかかわらず、それを無視して和睦に走る藩政府への不満が、隊内に燻った空気を生み、その空気に堪えられずに、噴出口として何か攻撃目標を探した結果、そうなったのかも知れなかった。つまり、武人は、そういう隊士たち旬不完全燃焼部分を燃やすスケープゴートにえらばれたのだ。
 理不尽な話だが、予想をこえて、この空気は濃度を増した。武人はどうにも割り切れない憤憑を抱えて悶々とした。いきおい、知己を他藩士に求め、来関する尊撲派志士と語ることが多くなった。場所として、馬関の花街を使った。酒と女の巷への出入りが多くなった。これを奇兵隊士はじっと見ていた。山県狂介や三浦梧楼もその中にいた。やがて、
「赤根総管は、隊費で毎晩遊興している」
という批難が起こった。敵前逃亡に加えて、公金横領だ。重なる汚名だ。道を歩いても、隊士は全部そういう眼で見る。武人にとって、馬関の土地全体が針のムシロになった。どこを踏んでも、針が刺し、痛い。何とも居心地が悪くなった。加えて、眼を患った。汁が垂れる。眼の底が痛い。心の苦痛が眼に表われた、と思った。武人はついに軍監の山県に言った。
「しばらく、阿見に戻って、眼の治療をする」
 山県は何も言わなかった。黙って武人を睨んでいた。
 しかし、はっきり言えば、眼病は口実である。患部は心にある。それも理由のわからない、周囲の理不尽な批難が原因だ。そんな思いを抱えていて、心が鎮まるわけがない。阿月に帰っても、武人は、ただいたずらに落ちこんでいた。
 詩人的性格のある武人は、吉田松陰が見抜いていたように、たしかに、
 「気少しく乏し」
という面があった。落ちこむと、そのまま深淵に沈滴して、なかなか這い上がれない。

■高杉クーデターによって赤根が裏切りものになった

<本文から>
「高杉に従うな。おれの言うことをきいてくれ」
と道理をつくして語った。が、伊藤の応答は意外なほど冷たかった。長州諸隊の中の力士隊をまかされている伊藤は、
 「戻ってよく考えてみます」
と言った。しかしその眼を見て、武人は絶望した。
 (これはダメだ)
 と思った。思っただけでなく、
(この男はおれを裏切る)
 と感じた。伊藤の眼の底には、あきらかに武人への侮蔑の色があった。それは権力を失った人間を見る眼の色であった。武人に対して、見限りの能違を示す眼の色であった。
 その証拠に、この密談の直後、高杉は蜂起し、伊藤俊輔も蜂起した。この報せは、たちまち藩内にひろまり、萩政庁も知った。萩政庁は武人を呼び出し、きびしく面詰したうえ、
 「おまえの言うことは信用できない。おまえは口先だけの人間だ。結局、できもしないことをできると大口をきいて、われわれを崩した。おそらく、おまえは、はじめから高杉と腹を合わせ、奴に蜂起させるための時間かせぎをしたのだろう? おまえのほうが約束を破った以上、われわれのほうも約を違える。前田たちは、処断する」
 と言って、止める武人を振り切って、十二月十八日、前田、楢崎、山田、大和、渡辺、松島、毛利の七人をにわかに入牢させ、翌十九日、七人とも首を斬ってしまった。そして、追いかけて国老の清水清太郎に腹を切らせてしまった。
 武人は、
 「う、う…」
 と坤いた。頭をかきむしって、身もだえした。おれの一生で、これほど取り返しのつかないことがあろうか、と七転八倒した。
 武人の交渉は成功しかけていた。政略ぬきで、正義派要人の釈放を願い、またせっかく一藩あげての統一戦線に繰りこまれて、生まれてはじめて人間らしい感情を味わいはじめている庶民層を、再び奈落に追いこむことはないと熱弁をふるう武人の人間愛に、さすがの俗論党政府も軟化しはじめていた。
 「両方共、認めることにするか」
 清水・前田らは有為な人間だし、諸隊も正規藩軍の補完機能を十二分に果たしている。ともにこれからの藩にとって有害ではない。ここのところ、たしかに正義派への報復が少しきびしすぎた、と反省する向きもあって、俗論党政府は、
「おまえの要求は熟考する。その代わり奇兵隊の鎮静はおまえが責任を持て」
 と言った。武人はホッとした。諸隊の一隅で育てはじめたある芽を、これで潰されずに済んだと思ったからだ。それを突然高杉晋作が踏みにじった。武人がせっかく苦労してまとめてきた要人の釈放と、諸隊の存続のことを知らずに、高杉は奇兵隊をけしかけ、いきなり反乱を起こさせてしまった。武人は唖然とし、憤然とした。
 (何の事情も知らずに、あの男は何というバカなことをするのか)
 と痛嘆した。が、知らないからこそ高杉は蜂起したのだろう。武人は痛憤の底から、
 (高杉のバカが前田や清水を殺した)
 と、高杉への深い憎悪の念を黒い炎として噴き立てた。
 しかし、いつまでも、痛憤と自責の念で七転八倒しているわけにはいかなかった。蜂起した高杉側が武人を追いはじめたからだ。武人の切り崩し工作は、伊藤俊輔からそのまま高杉に報告された。

■身分を問わない新撰組に共感し近づく

<本文から>
「新撰組では、あまり前歴や身分は問わないことにしています。ですから、いま、皆、何のたれべえ、と、もっともらしい名をつけていますが、本当に出身が侍なのかどうか、よくわからない人がたくさんいますよ。でも、そんな詮索はどうでもいい人です。たとえ元はどうであれ、いったん新撰組に入った以上は、全部武士だ、というのが近藤先生のお考えです。新撰組には商人もいるし、農民もいます。でも、いまは全部武士です。金作さんだって、だから入隊すればすぐ武士ですよ、姓なんか適当に考えればいいんです。第一、そんなことを言ったら、この近藤先生や土方さんだって、農民の出ですよ」
 「……」
 武人は心の中で驚嘆の気持ちを湧き立たせながら、沖田のことばをきいた。特に、
 「入隊した者は、元の身分はどうあれ、全部武士です」
 というひとことは、ああ、と武人をうめかせた。快感の湧くことばであった。武人は長州でそのことのために走りまわった。そして、いまの苦境はそれが原因だった。
 それがここでは無造作に実現されている。何の障壁もない。一体、どういうことなのだ、金作の話は本当だったのだ。
 副長の土方歳三は何も言わなかった。好意も悪意も色に出さずに、腕を組んでじっと武人を見つめていた。
 (この野郎は、何で、こういう話をするんだ?)
 という詮索が、武人に対する土方の最大の関心事だった。大体、長州の志士を新撰組に預けた永井の真意をはかりかねている。その土方の視線を充分に感じながら、
 「いまの沖田さんのお話ですが」
 武人はさらに踏みこんだ。
 「金作の悲願に同調する人が、この隊にもいるということですが、本当ですか?」
 土方と沖田は近藤を見た。近藤は二人の視線にはまったく影響されずにこう言った。
 「いるか、いないか、知りません。が、たとえいたとしても、その動きを私は制めない。私自身は、金作たちにことさら木綿の服を着せ、それとわかるような印をつけさせるような考えは持っていない」
 重苦しい言い方だった。しかし、それは新撰組の中で起こっている行動に対するそれではなく、自分がロにした例に対する憤りからの重苦しさであった。きいた武人は、
 (この人は、何もかも知っている!)
 と直感した。

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