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<本文から>
話し終わると、吉田は、
「見たまえ」
と、きちんと正座した自分の膝の上の拳を示した。
「ぼくは、拳を固く握っているだろう? これは怒りだよ。日本の中にある理不尽への怒りだよ。日本には理不尽が一杯ある。ことに身分というのはその極みだ。人の下に人がいる」
眼に憤りの炎を噴きたててそう語った。語る吉田は、はっきり膝の上で拳を握っていた。
吉田は、なぜ突然、高須久子の話をしたのだろう?
武人の膝の上の拳を見たからだろうか。武人の頭から養子の話などどこかに吹っとんだ。
吉田は言った。
「こういうふうに拳を撮るのは、こどものころからの癖だ。癇性でね。でも直そうとは思わない。何かが私にこの拳を握らせているのだ。気が弱った時、孤独になった時、私は拳とよく話し合うよ。この拳は私を勇気づけてくれる。拳は私そのものだ」
そう語った。武人は目を見張った。もともと、初対面の人間に会うと、まず、手を見る、というのは、もう武人にとって習性をこえ、本能のようになっていた。拳を握っている人間に会うと、言いようのない懐かしさをおぼえるのだ。それだけでなく、好悪の情がそれで決まり、信否の別もそれで決まる。理屈ぬきの人間判断基準になっていた。
しかし、吉田はちがった。そんな消極的な存在として拳を考えているのでなく、「話し合う相手」として考えていた。これは新しい発見だった。武人は、
(吉田先生は拳を自分の一部としていとおしんでおられる。が、おれは、何か異物のようにこだわりを持って扱ってきた)と思った。
そして、
(今日から、おれも、自分の拳を、吉田先生のように扱おう)と思った。
それだけでも、吉田松陰のところに来た甲斐があった、と思い、
(拳ひとつの解釈にしても、吉田先生はちがう)
と、その偉大さを改めて認識した。
この日、武人は吉田松除から、松下村塾のすぐそばに住む吉田栄太郎(のちの稔麿)という少年を紹介された。栄太郎は武人より三歳年下であり、このころ、松陰の門に入ったばかりだった。貧しい足軽の家に生まれたので、貧しさの苦悩をよく知っていた。
「あなたのことは、先生からよくうかがっています」
村塾を出て、帰路を辿る武人を送りながら、栄太郎は親しみをこめてそう語った。
「貧乏と身分の低さには心の底からいらだちをおぼえます。金があって、身分の高い奴らが味わわなくてすむことを、これでもか、これでもか、と味わわされるからです。それも、人間の中にひそむ卑しさを、金のある奴から加えられる侮蔑によってひき出され、屈辱の泥沼でのたうちまわされるからです」
栄太郎は語彙が豊富だった。少年なのに意味の深いことを言った。武人は庄倒された。
栄太郎は別れ際に、
「私は松下村塾の中でも、そういうことを問題にしないほかの人は嫌いです。松陰先生だけを尊敬しています。でも、あなたはちがいます。長州藩内の、人の下に置かれた人のために、ご一緒したいと思います」
眼を輝かせてそう言った。武人は、いつものくせで、ふっと栄太郎の手を見た。栄太郎は両の手を固くまるめていた。武人は微笑んだ。そして、
(この少年を好きになろう)
と思った。それにしても、吉田松陰は、いつ、自分のことをそこまで調べたのだろう、と武人は不思議に思った。表面的なことだけでなく、武人が胸の奥で育てている考えまで、いつ、見抜いたのだろうか、とおどろいた。予想以上に、吉田松陰は武人に関心を持っていたのだ。武人の胸に幸福感がみなぎった。
が、せっかくの松陰の忠告をきき捨てにして、武人は結局、赤根忠右衛門の養子になり、松崎武人改め赤根武人になった。 |
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