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<本文から>
「ぼくにとって、映画はめんどうをみてくれない(というより、みられない)親の代わりの役をつとめてくれたからである。
ぼくはいまでも映画を、
「ぼくの体験にない人生経験を味わせてくれる得がたい媒体だ」
と思っている。
特に外国映画ですぐれているのは、ほとんどが家族や小さな町の物語である。個人やコミュニティを大切にし、起こつた問題への突っこみの探さは日本の比ではない。
しかしぼくが子どものころは、日本にもすぐれた家族映画や町の映画があった。「路傍の石』 (一九三人年、田坂具隆監督)などはその代表だ。もともと空想癖のつよいぼくはすぐれた映画の中にはいりこむ。「路傍の石」でいえば、たちまち主人公の吾一になってしまうのだ。
貧しさのために、友人の商家に小僧にいって味わう屈辱は、そのまま貧しいぼくの日常にオーバーラップする。しかしその吾一を支えてくれるやさしい母親はぼくにはいない。
「吾一という名は、この世でたったひとりしかいないという誇りに溢れたものだ。その名を大切にし、名前に負けないように生きろ」(意訳)と、はげましてくれる小杉勇のような教師もいない。ぼくを教える教師は、授業参観にくる金持ちの母親に媚態ばかり示し、その分、ぼくたち貧しい生徒をイジメる鼻もちならないヤツだった。
この現実と映画との乖離は、次第にぼくを″映画の世界に生きる空想癖"の中に追いこんでいった。つまり、
「オレのほんとうの父親は小杉勇先生のようなヒトなのだ」
「オレのほんとうの母親は、風見孝子さんか、「無法松の一生」(四三年、稲垣浩監督)の吉岡大尉の奥さん(園井恵子)のようなヒトなのだ」
などと夢想するのである。バカバカしいかぎりだが、この空想はそのころのぼくの心の空洞部分をかなりみたしてくれた。 |
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